# 9 奪われし者脚本:面出明美/コンテ:こだま兼嗣/演出:小倉宏文/作画監督:菱沼義仁、橘佳良 世間では好評の声が高いので肩身が狭いのですけど、今回、私は不満でした。デリケートな心情を扱う回なのですから、もっと余裕を持たせて情感を出して欲しかったのです。今回分のエピソードに思い入れがあったぶん、いっそう悲しく感じたのでした。アッシュ周りのキャラクター解釈も、自分のものと合致しなかったです。
以下は重箱の隅ツッコミです。いつにも増してグダグダ言っているうえ、猛烈なネタバレなので、それでもOKな方のみどうぞ。 今回の導入は原作と全く同じで、展開も大体そのままです。なのに、前回からぶつっと切れているような違和感を覚えました。 と言うのも、前回のアニメ版アレンジのラストシーンが、「死ねぇっ!」とアッシュがルークに剣を振り上げ、ティアが「ルーク!」と悲痛に叫ぶという、非常に引きの強いものだったからです。ルークはどうなるんだろう、どういう経緯で殺されずに済むんだろうとワクワクしていただけに、描かれず台詞で補足されることすらなかったのには出鼻をくじかれました。(しかも、アニメ版のルークは原作と違って、敗北した時点で気を失っていませんでした。なのに、気絶から目覚めるシーンより開始。各話違うスタッフで作ってるからこんな段差が出来ちゃうんだなぁ。)
アバンは、アッシュの意識の中で目を覚ますルーク。例の特殊心象画面にて会話し、同調フォンスロットの説明を受け、自分がレプリカであることを思い知らされる。 原作にあった、意識内に囚われて一切の抵抗ができないルークに向かい、アッシュが「このままお前を殺してやろうか」「レプリカ風情が言うじゃねぇか。やれるもんならやってみろ! この出来損ないが! 」などと、散々嬲り罵倒する、ギスギス部分はカット。 「俺だって認めたくないがな! こんな屑が、レプリカなんて!」と吐き捨て、アッシュがルークの首に右手を伸ばしかけると、ミュウが両腕を広げて立ち塞がり「ご主人様を苛めちゃ駄目ですの!」と威嚇する。この台詞回しは『ファンダム Vol.2』異聞録から採ってるよーな。マニアックね。アッシュが去った後、両手を腰に当て怒ったままの顔で「みゅっ」と鼻息荒く胸を張るのが可愛くも頼もしかったです。 ティアの部屋は間取りは原作に近いですが家具の配置が違いますね。 あと、相変わらずベッドに靴履いたまま掛け布団なしで寝てる。もうオールドラントはそういう文化だと思うしかない(苦笑)。 ミュウに追い払われた(笑)アッシュは、扉を開けたところで(ここはまだティアの家の中?)、入ろうかどうか迷っていたらしいナタリアと遭遇。けれど、ぎこちなく話しかけてくる彼女から目をそらし、黙ったまま立ち去ります。
原作にあった、以下の心話はカット。 #ルーク、苛立ったように アッシュにはアッシュの正義があり、それに基づいて行動しています。彼は高潔で、孤立無援であろうと目標に向かって揺るがず行動していける強い意志をもった人間ですから。ですが、その長所を裏返せば自己中心的・独善的という面も出てくる。一人で決めて一人で行動しながら、他人が自分の目算通りに動かないと 元々、基本的に他人に相談しようとはしない、情報伝達すら最低限に済ませたがる彼ですが、レプリカに対しては更にキツい。 信じないに決まっているから説明しなかった、こんな出来損ないだと分かっていたら利用しようなんて思わなかったと、逆切れしてルークを怒鳴りつけるアッシュ。 つまり、原作のこの頃のアッシュは、ルークを自分と別個の《人間》とは思っておらず、付属品のロボットのようなもの、思い通りに動かせる身代わり人形だと思っていたのでした。だから説明・説得して味方につける労力を払おうなんて考えないし、なのに思い通りに動かなかったからと言って激怒する。 でも、ここをアニメ版は全カット。アッシュの《口は悪いが高潔》という面のみ採っています。アクゼリュス到着前にアッシュがルークの身体を操ってティアに剣を向けさせ嘲弄したエピソードも消しているので、本当の意味でマイルド化。
Aパート。中央監視施設の会議場で、市長テオドーロと共にテーブルについている、ジェイド、イオン、アニス、ガイ、ティア、そしてナタリア。そこにアッシュが入ってきて、タルタロスを外殻に打ち上げる計画の説明を受ける。 …へ? アバンで置いてけぼりにしたナタリアが、アッシュより先に席についてる。ってことは、それなりの時間が経過しているということ? アッシュはどこで何してたんでしょう。
ジェイド「丁度いいところへ、アッシュ。今市長に話を聞こうとしていたところですよ」
アニメの会話の感じだと、(アニス以外の)仲間たちはアッシュを信用して積極的に行動を共にしようとしているように見えます。ですが原作ではそうではありません。 原作のアニスはイオンと共に外殻大地へ戻ることを至上目的としていて、そのためにアッシュと手を組むことは割り切っています。が、その目的を果たした以降は、彼に従うことを渋りました。(メインシナリオ上でやや好意的になるのは、ワイヨン鏡窟でアッシュがイオンを気遣ったらしき行動を見せてからです。) 原作のイオンは、ナタリアの「ヴァンの目的を知っておく必要がある」という意見に賛同し、自らアッシュに従います。けれど「アッシュは信じていい」とまでは言いません。(アッシュを疑っている訳でもないでしょうが、まだ、強いて他人に「信じていい」と勧めるまでではない感じ。)アニメのイオンはザオ遺跡でアッシュに「あいつらのところに返してやろう」と言われてましたから、それで彼を信用しているのでしょうか。 原作のガイは、アッシュに面と向かって「俺は、おまえのことは信用しちゃいない」と明言しています。「変なことをしでかさないように、ついて行かせてもらうぜ」と。 ついでに、原作ティアはアッシュに従わなかった理由を「彼は兄さんの部下よ。……迂闊に信用は出来ないわ」とルークに述べています。 ナタリアがアッシュを全面的に信じている点と、ジェイドが飄々として中立の立場を貫いている点はアニメも原作も変わりませんが。
原作のこの時点で仲間たちがアッシュに協力したのは、必ずしも彼を信用したからではない。利害が一致したから、というのが最も適切かと思われます。それが証拠に、このずっと後、ケセドニア〜ルグニカ大陸降下のためにザオ遺跡へ向かう辺りになっても、何度となく、アッシュは信用できるのか、罠ではないのかと危ぶむ会話がなされています。 ちなみに今回のアニメで、ナタリアが「アッシュはわたくしたちの敵ではありませんわ」と反発するのは、原作のその辺りのエピソード、オアシスの村への呼び出しを受けた際の会話から、前倒しで採っていると思われます。 原作の仲間たちがアッシュを真に信用するようになるのは、もっと様々な交流を重ね、偽姫事件でバチカル脱出を助けられて以降です。
アッシュ同行を渋るアニスがイオンに宥められる会話の原型は、原作だとタルタロス打ち上げ成功直後にあります。アニスはアッシュと別れてダアトに帰りたかったのですが、イオンが乗り気だったので同行せざるを得ず。 ジェイドは「私も知りたいことがありますからね。少しの間、アッシュに協力するつもりですよ」と、割り切った態度を見せると同時に、あくまで一時的な協力だと釘を刺していました。と言いますか、タルタロスはジェイドの師団の艦だし。アッシュに付いて行くというより、アッシュに艦を貸して付き合ってやるという気分だったんでしょうね。タルタロス打ち上げを言い出したのは彼だから、その分の借りに報いる意味でも。 ガイは、当然手伝うだろうと言わんばかりのアッシュに「自分の部下を使えばいいだろうに」と不機嫌に返し、結局従ったものの、態度は終始冷ややかでした。
アッシュはつい先日まで敵で、しかもヴァンの子飼い。タルタロスや国境で襲撃してきたり、軍港を壊滅させ船を破壊させたり、イオンを誘拐したりしてきました。「今日から味方です」と言われて手放しで信じる方がおかしい。敵味方云々を別にしても、アニスやジェイドには彼に従う義務も義理もありません。 しかもアッシュは自分の考えは最低限しか言わず、持っている情報は小出しにしかしない。周囲に信用してもらおうという努力を、アッシュ自身が放棄しています。そのくせ態度は王者のように尊大で、「こちらの用が済めば帰してやる。俺はタルタロスを動かす人間が欲しいだけだ」「さあ、手伝え!」と言い放つのでした。 でもアニメ版では、その辺は短縮簡略で、「今日から仲間になったアッシュ君です。みんな仲良くしてあげてね」「はーい」って感じ。仕方がないですけど。
仲間たちの会議にアッシュも参加というアレンジ自体は、ドラマCD版や『マ王』漫画版に近いです。どうせなら漫画版みたいに、イオンに「崩落は自分の責任でもあるから、アッシュに同行してヴァンの計画について探りたい」という感じの、意志ある台詞を言わせてほしかったかも。
タルタロス打ち上げシーンは原作のCGムービーを忠実に模してありましたが、セフィロトツリーの解釈がちょっと違う感じ? 電気みたいな。 にしても。アニメ版でも原作と同じに、タルタロス打ち上げの際にナタリアとイオンが席に座らず突っ立っていました。サンライズが作ってもこうなるのか…。つまり、タルタロス艦橋内は重力制御か何かがされていて、身体を固定しなくても、ある程度なら揺れに翻弄されることはないんですね。
アニメ版のジェイドは、タルタロス打ち上げ以外に外殻へ戻る方法がないかのような言い方をしていますが、ご存じのとおり、通常はユリアシティから外殻へは、ユリアロードという転送装置を使用します。それを使えば簡単・安全に戻れる。 原作でタルタロス打ち上げを行ったのは、アッシュが強固にタルタロスが必要だと主張したからです。タルタロスという《足》を使って世界を巡り、ヴァンの計画の真相を探りたいと考えていたから。タルタロスを操縦する人員が必要だったため、ジェイド達に一時的な協力を持ちかけたのでした。 ところがアニメ版では、タルタロス打ち上げはアッシュの計画ではありません。ジェイドが主導し「人手は、多いに越したことはない」とアッシュを誘う。…にも拘らず、打ち上げ成功すると、原作どおりガイが《アッシュに》目的地を尋ね、彼も当然のように答えて仲間たちを導いていく。ちょっと不思議な展開です。脚色のミスですね。
イオンの「僕はこの街が好きではありません。この街の人々と僕とでは アニスの「ルークもあ〜んなお馬鹿さんとは思わなかったし。お金持ちでも馬鹿はちょっとね〜」という台詞もカット。脊髄反射でアニスを叩く視聴者が出ると嫌だからこれでいいや。次回でルークに嫌味を言うのは、きっと最低限残してあるんでしょうし。
さて。今回分で私が最も不満に思った点。それは、《アッシュに冷たいガイ》の要素がカットされていた点でした。 ドラマCD版、『マ王』漫画版に続き、これで三媒体連続で消滅です。そんなに拙くて消すべき要素だとは私には思えないのですが。アニメ版はガイが復讐心に揺れる描写を明確に見せてきたので、今度こそカットしないで扱ってくれるんじゃないかと期待していただけに。三度目ともなるとかなりガッカリでした。
前述したように、原作のガイはアッシュに向かって「俺は、おまえのことは信用しちゃいない」と明言します。タルタロス打ち上げに成功して、ナタリアやアニスが企画者のアッシュを褒め 今まで誰よりも温厚で、仲間たちの調停役を果たしていたガイが、《本物のルーク》を前にすると別人のように冷たく皮肉屋になり、場を険悪にするトラブルメーカーになってしまう。どうしてなのか。《ルーク》の幼なじみで親友で使用人なら、本物が帰って来たら大喜びすべきなんじゃないか、ナタリアのように。 …それはガイが復讐者で、《キムラスカ次期王》として理想的な気質の《ファブレ公爵の息子》を憎んでいたからです。以下引用。 (原作ゲーム プロデューサーインタビュー)『ファミ通PS2』Vol.208 (原作ゲーム メインシナリオライターインタビュー)『ファミ通PS2』Vol.210
ガイはレプリカ摩り替えを知らなかったので、当初はレプリカルークのことも嫌っていたはずです。それが、喋れない歩けない食事も排泄も一人では満足に出来ない惨めな彼の介護をしているうちに同情し、やがて家族めいた愛情を感じるようになっていった。しかも、ガイが育てたルークは元のルークと正反対に(良くも悪くも)階級意識が希薄でした。ガイが嫌いだった、支配者のお手本のようなルークとは違う人間になったのです。だからこそ、使用人でありながら親友という対等の立場にもなりえた。 アニメ版でカットされた、バチカルへの帰還の旅の途中(コーラル城後)の会話に、以下のようなものもあります。 ガイ「おまえ、俺と初めて会ったときのこと、覚えてるか?」 まあそんな訳で。ガイがアッシュに冷たいのには、ちゃんと物語上の意味がある。意地悪だとか、ただのギスギスだとかいうものじゃないです。
原作では、この流れは物語終盤まで続いています。ガイはヴァンの計画の真相を知って相容れないと思い、ルーク側について共に世界を守ろうと決意する。それでもなかなか復讐心は拭い去れません。カースロットに刺激されて(親友として選んだはずの)ルークを斬り殺そうとしたり、平和条約締結の場でインゴベルト王に剣を突き付けたり。平和条約が結ばれ伯爵の地位を取り戻したことで一応の決着はつきましたが、それでもまだ、アッシュへの微妙な冷たさは抜けなかった。 こんなガイの葛藤に決着がつくのは、本当に物語の終盤、最終決戦前夜です。「アッシュもあなたの友達?」とナタリアに問われたガイは、こう答えます。 「……俺は俺なりに過去にケリをつけたつもりだ。アッシュも過去と決別しようとしているんだと思う。そうなれば、あいつと俺は仇の息子とその使用人じゃない。人間アッシュと人間ガイラルディアとして一から始めることになる。全てのしがらみを取り去ったら、あいつはあいつで面白い奴だと思うよ」 アッシュが過去と決別しようとし始めたのは、レプリカルークが成長し、精神的に自立したからです。一段上に立たれたことを認識させられた時、アッシュもいつまでも《レプリカに居場所を奪われた可哀想な俺》という子供の頃のままの悲劇の王子様思考に安住してはいられなくなった。そして、過去と決別して変わろうともがくアッシュの姿を見て、ガイも《完全に過去と決別しよう》と決意したのでした。最後の最後まで残っていた復讐心のカケラを捨て去ろうと。アッシュに対するわだかまりを捨てるという形で。
ガイが復讐心を捨てようと思った最初のきっかけは、レプリカルークが過去…自らが失ったと思っていた記憶…に囚われず、前に進もうとする姿を見たからでした。アクゼリュス崩落後に、やはりくじけずに髪を切って前に進んできた姿にも感銘を受けた。レプリカとして《本物のルーク》へのコンプレックスと罪悪感に苦しみ続けましたが、それすらも最後には突き抜けて、一人の人間としてアッシュと相対するに至った。 ルークの自立はアッシュの自立を促し、過去に囚われず未来を目指そうとする、そんな彼らの姿を見て、ガイも復讐心を完全に捨てる気持ちに至れた訳です。 無論、人間ですから、この先も迷うことはあるでしょう。それでも《変わろうと決意した、変わるために歩き出した》ってことが大切、というのが『アビス』という物語のテーマであり結論の一つでした。宝刀ガルディオスをファブレ公爵から返却された時、ルークがお前の剣の 「そうあろうと努力している……と思います。それだけで、俺には充分だ。ルークは変わろうとした。それなら……」 それなら、きっと自分も変われる。復讐心を捨てて、前へ歩き出せる、と。
…と、こういう流れがあると思うんですが、ドラマCD版も『マ王』漫画版も、そしてアニメ版も、みんなこの要素をカットしちゃった。 ガイは根本的に気が優しくて善良で、良くも悪くも人間としての正道から外れることが出来ない人だと思っています。だから結局は復讐を果たせなかったし、ヴァン側につくこともなかった。…が、そんな彼であっても容易には拭い去れなかったほどに、故郷を滅ぼされた恨みと復讐心は根深く大きかった。そういうことだと思うのです。 その闇…厳密に言うと、光を目指して闇の中でもがいていたガイの苦しみ…の部分を、マイルド化せずに筋を通して描いてほしかったのでした。残念です。
同じ理由から、ベルケンド到着後のガイとナタリアの子育て会議の演出(ガイの心情解釈)が少し不満でした。 #ベルケンドの港を歩いていく一行。最後尾のガイ、階段途中に立ち止まって海を見つめる 最後のガイの台詞。アニメ版だと、ガイが素直にナタリアの言葉に驚いて、気付かされ納得した感じに表情の演技が付けてあります。でも原作の方は、ナタリアの訴えを聞いても暗く不機嫌そうな表情を変えず、声音も沈んだままで「……確かにそういう考え方もある、か……」と呟くのです。そういう理屈があること自体は否定しないが、納得する気はない、という感じ。 原作のこの時点のガイは、アッシュ…七年前と変わらぬ気質の《ファブレ家のルーク》を目の当たりにして、復讐心が再燃してぐつぐつしている。でもアニメ版はその辺が綺麗に取り払われていて、《弟分のルークのことばかり心配していたけど、ナタリアに指摘されて、幼なじみのアッシュのことも気にかけてやるべきだったと気付いたよ》、みたいな爽やかドラマになっちゃってるのです。 なんなんだよもう。第1話ではルークの何気ない言葉にもいちいち反応して辛そうになったり自嘲したりしてたくせに。アニメのガイは復讐心あるのかないのか、どっちなんじゃい!
ベルケンド市街の第一音機関研究所へ。セントビナーの絵を見た時も思いましたが、ゲームではどうしても狭くなってしまう街を、アニメ版は広々と描いていて、とてもいいですね。音機関研究所が街の高台にある大きな施設だというのがよく分かって、リアルっぽさを感じました。
原作では偶然スピノザを発見しますが、アニメ版ではアッシュの案内でまっすぐ彼の研究室を訪ねた感じでした。会話は、僅かに語句が削られていた程度でほぼ原作どおり。それはそうと、ジェイドの「禁忌」の発音が、なんか普通と違う感じ。 スピノザが逃走し、ジェイドが彼の机から何かの書類を取り上げたところでAパートは終了。ちなみに原作ではスピノザは逃げません。口を閉ざすだけ。
Bパート。第一音機関研究所の前で今後の行路の相談。 フォミクリーの原理考案者がジェイドだと知ったイオンが暗い表情になるエピソードは残してありますが、以下のギスギス会話はカット。 #不機嫌な様子のガイ
ジェイドはスピノザの書類にワイヨン鏡窟の情報があったことを語り、そこへ行けばスピノザを捕らえられるかもしれないと提案。 原作ではワイヨン鏡窟へ行くと言い出すのはアッシュです。レプリカについて調べるのが目的。あくまで主導者はアッシュなんですが、アニメ版ではずっとジェイドが主導しているように変更してますね。なんでだろ。 原作ではここで再びアニスがアッシュのワンマンぶりに反発して同行を嫌がり、イオンの指示で不承不承従うんですが、カット。
ガイが一行から離脱します。 このエピソード、原作・ドラマCD・そしてアニメ版と、全てアッシュ役・ガイ役の声優さんの演技が異なっているのが面白いです。 原作では、ガイは強く揺るがぬ声で「俺は降りるぜ」と言い放ちます。仲間たち全員に背を向けていて、不機嫌そうにも、拒絶しているようにも見える。それを聞いたアッシュの「……どうしてだ、ガイ」という声は、かなりのショックを受けている感じ。続くガイの台詞「ルークが心配なんだ。あいつを迎えに行ってやらないとな」は、アッシュの動揺など意に介さない、自分の決断への自信に満ちた感じです。「馬鹿だから俺がいないと心配なんだよ。それにあいつなら……立ち直れると俺は信じてる」は、やはり自信を込めて、微かな笑みを浮かべつつ、という感じ。全体に骨太。 ドラマCDのガイは、どことなく不安そうというのか、激情をこらえている感じで喋っています。まず「俺は、降りる」と暗く小さな声で呟き、続いて「俺は、降ります」と(ナタリアに)大きな声で宣言。アッシュは落ち着いて静かに「どうしてだ、ガイ」と尋ねます。「屑は屑だ。期待するな。裏切られるぞ」と言ったり、レプリカルークへの憎悪と侮蔑に満ちています。(ドラマCD版のアッシュがルークの意識を繋いだのは、「居場所が無くなったことを思い知らせてやる」という悪意からでした。)答えたガイの「ルークが心配なんだ。あいつに付いていてやらないと」は心配そうな調子で。「馬鹿だから俺がいないと心配なんだよ」は声を震わせて(ルークを非難したアニスに)訴えるように。「それにあいつなら……立ち直れると俺は信じる」は、静かに、どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえます。全体に繊細。 そしてアニメ版。「俺は降りるぜ」は、仲間たちの方を向いてはいますが視線を宙に浮かせたまま。これは原作に近い声音。アッシュの「どうしてだ、ガイ」はただ驚いた声色。だって、不思議そうな表情が絵に描かれちゃってますし。「ルークが心配なんだ。あいつを迎えに行ってやらないとな」は、相変わらず視線を誰にも合わせずに、普通の声音です。「馬鹿だから俺がいないと心配なんだよ」は、(ルークを非難したアニスに目を向けて)少し怒った様子で。「それにあいつなら……立ち直れると俺は信じてる」は、アニスを見つめたまま、微笑みを浮かべて、でした。これらは、絵にその表情が付けられていたからでしょう。(アフレコより先に絵が完成しているので。) アニメ版では《アッシュに冷たいガイ》の要素をカットしていますが、《ガイに去られてショックのアッシュ》の要素も希薄にしてありますね。ドラマCD版のような完全消去でもない感じですが。ちなみに原作では「おや。こちらのルークもガイがお気に入りでしたか。お友達に出て行かれて、寂しいですねぇ」とジェイドがアッシュを揶揄しています。 ついでながら。『マ王』漫画版では、ガイは静かな微笑を浮かべて離脱を宣言し、終始穏やかな様子で悠々と立ち去っていました。この時アッシュは一言も喋りませんが、密かに傷ついていた様子が、ずっと後のエピソードで描かれていました。ガイとルークが友情を新たにしている片隅で、一人で黙って部屋を出て行って、ナタリアだけがそれに気付いて心配するという。漫画版アッシュは悲劇の王子様属性がやや強められてる感じ。
アッシュ「フン。お前があいつを選ぶのは分かってたさ」 アッシュは、自分がガイにとって仇の息子だということを、ヴァンに聞いて承知しています。だからガイは自分を拒絶してレプリカを選んだと思っている。でもガイは「それだけって訳でもないんだけどな」と言いました。だってガイは、ルークがレプリカだってことをずっと知らなかったんですもんね。仇の息子云々以上に、《ルークだから》選んだ。これは、アッシュとルークが別の人間であることを、ガイがはっきりと認識している。認識したということ。
原作では、去ろうとするガイにナタリアが「ガイ! あなたはルークの従者で親友ではありませんか。本物のルークはここにいますのよ」と訴えます。この台詞、ナタリアの気持ちも分かるんですが物議をかもすものであることは間違いないので、アニメではカットされててホッとしました。が、ガイが立ち去った直後の アッシュ「……ヤツの好きにさせればいいさ。おまえも、あのレプリカのところに行きたければいつでも行くんだな」 の会話までカットされたのは残念でした。前述の台詞とセットみたいなものですから仕方ないのかもしれませんが、どうして削っちゃったんだろう。これがあるとないとではナタリアの印象が全然違うのに。
アッシュは生真面目で階級意識の強い貴族の中の貴族でした。父親の手前もありますし、使用人のガイを内心では友人のように思っていたとしても、あくまで主従として振る舞い、増して親友だと公言することなどなかったはず。つまり、使用人のガイが親友たりえたのは、階級意識の薄いレプリカルークでしかあり得ない。 なのにナタリアは「あなたはルークの従者で親友ではありませんか」と言いました。彼女の心の底で二人のルークが曖昧に、どこか混じってるのではないかと思われます。だからガイには「本物のルークはここにいますのよ」と言いながら、アッシュに「おまえも、あのレプリカのところに行きたければいつでも行くんだな」と言われても「私はあなたから離れません」と言えなかった。ガイとは対照的です。後にガイに、ナタリアはアッシュ派だろうと言われて「私には、どちらも選べませんもの」と苦しそうに返していました。 #でもこれは、ガイに比べてナタリアが劣っている、というようなことではないと思います。ガイはルークとアッシュの区別ははっきりつけていましたが、後に自分の死んだ姉のレプリカが現れると、別人と分かっているのに何度も「姉上」と呼んでしまっていました。最終的に彼女自身に否定され、最後には「あなた」と呼んでましたけど。(彼女には番号の識別名しかなかったから。) #人間の心はそう単純ではないということだと思います。同じ姿の人間がいたら、拒絶するか混同するかが自然な心の動きなのでしょう。 ナタリアの中のこの混乱も、原作では密かにずっと続いていて、結論が語られるのはアッシュ(一時)死亡後の最終決戦直前、ルークに言葉をかけるシーンになります。
ナタリアの台詞でカットされていて残念だったものには、 「そんなことありませんわ! 私にはわかります。あなたは……やはりルークなのですわ」 もありました。類似の台詞でやはりカットされたものに「いいえ……。あなたは昔のままのルークですわ……。私には……わかりますもの……」というのもありますけど。 アッシュは自身を《燃えカス》だとうそぶき、ひたすらにナタリアの愛を拒絶します。 誇り高い彼は、自ら《ルーク》を捨てたというポーズをとらなければ、奪われた自分が惨めに思えて耐えられない。だから「俺は《ルーク》じゃない」とナタリアをはねのける。 が、実のところ、アッシュは変わってないんですよね。ナタリアが言うとおり。キムラスカを憂い、王者としての風格を持って、高潔な強い意思に従って立っている。今は《未来を夢見る目》が塞がれてしまっているものの、ナタリアの愛したままの、ずっと求めていたルークなのです。そしてなにより、ナタリアを深く愛している。(漆黒の翼情報によれば、アッシュの話題の六割はナタリア。)
ナタリアは過去に非常にこだわっているキャラクターです。ですがアッシュの方も過去ばかり見ている。アッシュは七年前の約束を守り続けてくれているナタリアに執着しています。 変わらぬ愛を一途に向けてくれるナタリアの存在は、実際はアッシュにとって大きな支えであり救いであったはず。だからこそ彼女が逆境に置かれた際には、二度に渡って自ら《約束の言葉》を口にして励ましたのだと思います。あれって結局、「俺もお前のことをずっと変わらずに愛してきた。約束を忘れずに大切に思ってきた」って告白ですもんね。 でもこの約束も、未来へ歩き出さなければ叶えることは出来ない。前へ進まない限りは、ただ互いを縛るだけの過去。その意味で無効の約束なのです。
最終決戦前、アッシュは過去と決別して未来へ進むために、エルドラントでルークと最後の対決をします。そんな彼の決意と、その後の横死を経て、最後の最後にナタリアも変わることを決断する。 「私、ずっと思っていましたの。アッシュがキムラスカに戻ってきて、ルークと二人でお父様を支えてくださればいいのにと。 ナタリアは、頭ではルークとアッシュが別人だと理解し、一度はけじめをつけながらも、心の奥底では二人をどこか混同したままの迷いを持ち続けていました。(最終決戦前夜のガイとの会話からそれが分かります。)でも、それを思い切る。 アッシュは死んだ。その力を今はルークが受け継いでいる。けれど、ルークはアッシュではない。代わりにはなりようがない。 ルークとアッシュは本当に別人であり、ルークにはアッシュが目指すものとは違う、彼自身が目指し生きる道があった。なにより、約束は過去のものであり、過去でルークの自由な未来を縛ることはできなかったのだと。 その上で、戦いの中でヴァンに向かい、《アッシュとの約束を守るためにもオールドラントの民を守り抜く》《アッシュの成し得なかったヴァン撃破を自分一人が成せると思うほどには自惚れていない。アッシュはそれをルークに託した。だから自分はアッシュのため、そして彼が遺志を託したルークのために、戦ってヴァンの力を奪う》と宣していました。 他の仲間たちと同じようにナタリアも、どんな苦境にあっても未来を目指すルークの姿を見て、自分も変わりたいと思い救われた人間です。ですがそれ以上に彼女を救い支えていたのはアッシュでした。父王に似ずに生まれ、不義の子として周囲に疑念の目で見られていた幼少時代、彼女を変えたのは婚約者のルークが語った王族としての理想、そして生涯を共にしようという アッシュの理想は今やナタリア自身の理想であり、背骨でもある。アッシュが死んだ今は、生涯を共にしようという過去の約束を未来に繋げて果たすことはできない。けれど彼の理想と遺志を継ぐことを、改めて今のアッシュと自分自身に約束し、未来へ向かおうと。 それが彼女の最終的な成長であり、結論なのだと思っています。……アニメではどういう解釈・描き方になるのかな。
ワイヨン鏡窟へ向かう途中で、原作になかったエピソードが挿入されます。 深夜、タルタロスの船室のベッドでうなされているアッシュ。彼の夢の中に流れるのは、誘拐後にヴァンの監禁から逃げ出してバチカルの実家へ逃げ帰った時の記憶。 この過去の記憶の夢は、『マ王』漫画版外伝1が元になっています。と言っても、元の漫画がダイジェスト的だったのを、更に短縮して超ダイジェストにした感じでした。 唯一気になったのは、幼少アッシュがファブレ邸の門で、白光騎士団に追い払われるシーンを作っていたこと。漫画の(恐らく)ダアトの街でのシーンを元にしていると思うんですが。ダアトの人間が薄汚れた少年を見て「こんな子供が公爵家子息のはずがない」と馬鹿にして邪険に扱うのは無理もない。が、ファブレ家私設軍の白光騎士団が、毎日見てるルークの顔を見ても気づかないなんて、流石に不自然過ぎでは。だって同じ顔、同じ声なんですよ。…これが『王子と乞食』現象ってやつか。 あと細かいことを言うと、漫画のアッシュは ダアト→貨物船に密航してベルケンド→イニスタ湿原を越えつつ魔物と戦う→バチカル という旅をしてて、あの危険な湿原を子供一人で越えたという点がとても印象深かったので、アニメでは湿原ではなく森で戦っていて、あれれと思ったりしました。ここで出てくる魔物、第1話のオリジナル魔物と同じですね。 若い頃のファブレ公爵の前髪が立っていて、血は争えないなぁと言うか、いかにもアッシュの父親と言う感じ。(^ ^)
夢から目覚めたアッシュに、精神の繋がったルークが辛そうに「アッシュ……。今の夢は」と言い、アッシュは「勝手に俺の夢を見るな!」と怒鳴りつけて甲板へ。自分が強制的にルークの意識を繋いでるくせに無体な。でもアッシュらしいですね(笑)。 アッシュとルークの精神リンクは、作劇上便利な要素なんでしょうね。ファミ通小説版とドラマCD版では、アッシュがルークに意識させず彼の見るもの聞くもの全てを自由に知覚できたり、心の声すら勝手に聞くし、無意識の精神的悲鳴さえ漏れ聞いてるように拡大解釈されてましたが。アニメ版では逆に、ルークがアッシュの夢を覗き見、と。 ナタリア出演のエロい夢とか見てなくてよかったよね思春期青少年。
次はアニメオリジナルシーン。 アッシュが夜の甲板に佇んでいると、 #甲板に佇むアッシュの背後、少し離れた位置に立ち止まるジェイド インタビューで語られていたものの原作では欠け気味だった、アッシュ(被験者)へのジェイドの罪悪感が補完してあります。
ワイヨン鏡窟は超短縮。個人的に、エンシェント鏡石……鏡のような石の描写がアニメで見たかったので、見せてくれなかったのは残念。今後出るかな? イオンを置いていくエピソードは消滅し、普通に同行。よってアニスがアッシュに好意的になるエピソードもなくなりましたが、アニメのアニスは元々アッシュに殆ど反発してないので問題なし。アッシュが魔物からナタリアを救うエピソードもなし。 すぐにフォミクリー研究施設に到着。 ワイヨン鏡窟がディスト所縁の場所だということは示唆されますが、原作同様、ワイヨンが彼の本名の一部だという説明はしませんでした。あれ? てっきり補完すると思っていたのに。初回ケテルブルクで説明するんでしょうか。 アッシュが演算機を操作し、ヴァンたちが巨大なレプリカを作ろうとしていること、廃棄されたはずのホド島関連のレプリカ情報が保管されていることを知る。……それはかつてジェイドが採取させたものだという説明は省略されてました。
なんと、檻の中の黄色い実験チーグル(スターとレプリカスター)のエピソードが完全カットされていました。これは
演算機のスイッチを切ってすぐに地震が起こり、倒壊してきた機器に押しつぶされそうになったナタリアを、アッシュが抱きしめて庇う。 オイオイ。カッコいいんですけど、これで第6話、第7話と三回続いて、《上から降ってきたものに潰されそうになったナタリアが誰かに救われる》シチュエーションを繰り返しましたよ。アニメスタッフさんたちはコレがよっぽど好きなのね。 ちなみに原作では地震で転びそうになったのを背後からアッシュが抱きとめる。そしてこのずっと先にもう一度ワイヨン鏡窟を訪れた際、今度は滑って転びそうになったのをルークに後ろから抱きとめてもらって、ナタリアが複雑に心を揺らす…という流れがあるんですけど、アニメじゃそういう枝葉末節はやらないんでしょうね。
地震を踏まえ、更なる崩落が起こることを予告したアッシュは、ジェイド達と別行動することを告げ、ルークとの同調回線を切断する。 実はここが、今回二番目に不満な点でした。 アッシュ「お前と馴れ合うのはここまでだ」 原作だとアッシュは「時間がない。おまえと馴れ合うのはここまでだ!」とだけ言っていきなり回線を切るんですが。アニメではこれだけ親切に説明し、説教までしてくださいます。 原作未見の方々の感想ブログでは、ルークに現実を見せ導くためにあえて回線を繋いでやるなんてアッシュはなんていい奴なんだと絶賛されておりました。 その通りで、アニメのアッシュは人格者ですよね。敵か味方かニヒルなライバル、その正体は洗脳されて敵に回っていた主人公の兄、アビスシルバー! って感じです。番組中盤から味方になって、時々現れては助けてくれるようになるってヤツです。 確かにアッシュというキャラクターはそういうレッテル貼りをしたくなる要素を持っています。そして全く外れているわけでもない。 でも。原作のアッシュは違うよね。 アッシュは自分の居場所を奪ったレプリカルークを憎んでいる。それこそ、本気で殺そうと襲撃してきたくらい。賢い彼は頭の片隅でこれは逆恨みだと分かっているけど、憎まなければ耐えられなかった。真実悪いのはヴァンだということを直視すると、ヴァンの傍という新たな居場所さえ失ってしまうから。同様に、ルークを責めながらも自分からファブレ家に帰ることをしない。名乗り出ても選ばれなかったらと思うと怖いから。 アッシュはルークが《貴族で次期キムラスカ王のルーク・フォン・ファブレ》に相応しい人間じゃないことに苛立っている。レプリカは自分の身代わり、影武者だと思っているから。でも同時に、自分より劣っていることに安堵して優越感を感じてもおり、見下すことで精神的安定を得ている。 一方で、居場所を奪われたことでルークに劣等感を抱き、自分は可哀想な被害者だと思っている。でもそれを認めるのは惨めなので、自分から居場所と名前を捨てたんだというポーズを取っている。あなたはルークですと言ってくれるナタリアさえはねのけてしまう。そうして彼女を拒絶しながらも、彼女の危機には駆けつけて《ルークとしての約束》を忘れていないことを告げる。 アッシュはこんな数多の二律背反を抱えていて、だから常にイライラしている人。これは原作メインシナリオライターさんのインタビューやバイブル小説で説明されていたことです。
私は、アッシュが気絶しているルークと意識を繋いだのは、ルークのために教育的指導をしてやろうと思ったからではないと思うのです。原作では。 繋いだこと自体は、ただの気まぐれか、いつまでもルークが目覚めないので「こいつ生きてるのか?」と少し心配になって試してみたくらいのことかと思うのですが。その後、目覚めたルークの意識を捕らえたままにしたのは、(少なくともユリアシティを出るまでは)抵抗できないルークを アッシュはなんだかんだ言ってルークを殺せなかったし、やり方は独善的ながら、外殻大地の人々を救うために奔走した。根は情が深く優しい人で、高潔な王者の気質を持っています。でも、ヴァンから離れきれなかった弱さや、レプリカを見下すことで精神的安定を得ていた未熟さも、彼の一部であることは間違いない。彼は《アビスシルバー》ではありません。『テイルズ オブ ジ アビス』という物語は、誘拐以来、自己確立という点で精神的成長をできずにいたアッシュが、見下していたレプリカが成長し自立した姿を見て、俺も変わろう、殻を突き破ろうと決意する、その過程を描いたものでもあると思うのです。 原作エルドラントでのルークとの最後の決闘を終えた後、アッシュは襲ってくる だから、安易にアッシュを《教え諭す人格者》みたいに描いたアニメは不満だよー。
すんごく私事になってしまって恐縮なんですが、アニメのアッシュが「お前は自分が何をしたか、何をすべきか、自分の頭で考えろ」と言ったのを聞いたとき、ピリッと違和感が自分の中を走ったのですよね。「それはガイの言うべき台詞だっ」と思った。なんでそんなこと思ったんだろうと考えてみたところ、二年前に自分で書いた二次創作小説で、ガイに「一人になれば、きっとルークも自分の頭で考えるようになるはずだ。自分がしたことは何なのか。これからどうすればいいのかということを」という台詞を言わせていたのでした。 この台詞は、原作ゲーム中のガイの台詞「一人で考えればルークも気付くだろう。自分がこれから何をすべきなのか」が元になっています。アニメではカットされてしまいましたが、ガイがユリアシティでアッシュに向けて言った言葉です。 一時的とはいえ、ガイがどうしてルークの傍を離れたのか、色々考えていました。そして最終的に前述のガイの台詞を噛み砕いて、(理由はこれ一つではないでしょうけど、)ガイはルークに自分で考えてほしかったんだ、一から十まで教え諭してお人形さん扱いするんじゃなく、あえて突き放すことでルークの成長を促そうとしたんだと結論したりしました。 そんなわけでこの台詞はガイが言うべきものだという印象が色濃くて。いや、ガイじゃなければティアかジェイドが言うんでもいいんですけど。 #実際、ティアがアクゼリュス到着前に「あなた、少しは自分で物を考えないと、今に取り返しのつかないことになるわよ」と言ったり、ルーク断髪前に「あなた、ちっとも分かってないわ。人の言葉にばかり左右されて、何が起きているのか自分で理解しようともしないで……」と言ったのも同じ意味ですし、後者の台詞はドラマCD版ではジェイドが言ってましたよね。 何故ってこの言葉、保護者もしくは教育者のものだからなんです。だからアッシュがこの台詞を言ったのを聞いて、「げっ」と。 アッシュは、その存在そのものがルークを導き成長させる重要キャラです。でも、ルークに向かって保護者・教育者として振る舞う、そんな立ち位置のキャラじゃないっ! と私は思ってます。 ティアの部屋でルークが目覚める。疲れたのかルークの足に寄り掛かって眠っていたミュウが、跳ね起きてルークの肩に飛んで行ってすりすりと顔をこすりつけ、みゅうみゅうと鳴く。殺人的に可愛かった♥ やっぱミュウはルークに飛びつかせて、感覚的な温かさを演出するのがいいよね。 原作ではこの後のシーンには《間》が使われています。ルークがゆっくりと辺りを見回してベッドから立ち上がり、窓から中庭を見やる。闇の中に仄光るセレニアの花群れの中に、ティアの後ろ姿がぽつりと見える。静寂の中、しばし魅入られたようにその美しい光景を見つめるルーク…。このシーンの、ルークの視界の中のティアには、どこか物悲しげな静けさ…《聖性》が感じられます。 闇の中のセレニアの花畑とティア、というシーンは『アビス』中には何度も出てきますが、個人的には《異郷感》を感じて好きです。冥界の花野みたいな。ちなみにアラミス湧水洞は産道もしくは アニメではティアの歌声が聞こえてきて、それに誘われてルークはすぐに花畑に降りる。テンポはいいですが途切れなく流れていて、《聖性》を感じさせる《間》は失われています。
この後の会話は、例によって台詞がかなり削られてはいるものの、重要な部分は原作どおり。……なの、ですが。 ティア「あなた、ちっとも分かってないわ。人の言葉に左右されて、何が起きているのか自分で理解しようともしないで。それじゃあ、アクゼリュスの時と同じよ」 このシーン、個人的に、ハッとして俯くルークの演出が今一つ地味で残念でした。原作は音楽を劇的に悲しく変えてルークの表情を隠してカメラ回り込ませつつ引いてましたし、『マ王』漫画版はカルチャーショックを受けたかのような顔でカメラ引き、かなりの《間》を空けて《タメ》ていました。アニメ版でも、もう少しドラマチックな、メリハリの付いた芝居を期待していたのに。 ここは、ヴァンに「私にはお前が必要なのだ」と言われた時と同じくらい、ルークにとってターニングポイントで、重要なところだと思いますですよ。
そして。ここ以降しばらくは、観て、どうも違和感が拭えませんでした。のっぺりしてメリハリがないと言うのか、淡々と早足で《エピソード消化》だけしたように感じられると言うのか。最初は尺が足りずに《間》が詰まっているのだろうかと思ったんですが、原作と比較してみて思いました。台詞削除をしたために会話のリズムが崩れたのが主な要因だと。 無論、気にならない人の方が多いのでしょう。原作未見の方なら尚更です。会話の意味は問題なく理解できますから。ですので以下は戯れ言。
ルーク「これじゃ……みんなが呆れて俺を見捨てるのも当然だ」 以上の会話はアニメではカットされているのですが、削るべきではなかったんじゃないかと思います。 アニメ版ではギスギスした台詞は片端から削る傾向があり、ここも《仲間がルークを見捨てた》と視聴者に思われないよう配慮したのかなと思いますが。これを削って、前の台詞から直接「俺、今まで自分しか見えてなかったんだな……。いや、自分も見えてなかったかも」に繋げると、ルークがティアの声も聞かないまま一人よがりにドンドン喋っているような印象になる。せめて「ルーク……」というティアの呟きくらい挟んでもよかったのでは。 贅沢を言えば、「みんなが呆れて俺を見捨てるのも当然だ」を「みんなが俺を置いて行っちまったのも当然だ」に修正するくらいで残し、ルークが本当に現状を後悔・反省し、孤独を辛く思っていることを強調して欲しかったかも。
「いや、自分も見えてなかったかも」の次、原作ではティアが「……そうね」と呟きますが、これもカット。キツいから? おためごかしを言うまいとするティアらしい受け答えだと思うんだけどなぁ。でもここは、代わりに《黙ってルークを見つめるティア》を正面に映すカット切り替えがしてあるので、会話のリズムは残ってます。よかった。 ここは、ルークが《自分(の手)》を見つめて、次いでカメラの焦点が《他人》のティアに移るという、《視野が自分から他人に向けて広がる》意図の演出なんでしょうか。凝ってますね。
今回、仲間やアッシュのルークに対する辛辣な言動をほぼ削ってしまっているため、彼が全然可哀想に見えないのですよね。むしろ過去エピソードが追加されたアッシュの方が可哀想に見える。アニメのみ見ている視聴者は、ルークよりアッシュに感情移入しやすいのではないでしょうか。 あまりルークの可哀想さを強調し過ぎて《ルークは悪くヌェー、だから仲間が悪い》みたいに思う視聴者を出してもマズいのですが、何もかも消してマイルドにしてしまうと味がぼやけてしまう。ここの会話でくらい、ピリッとスパイスを利かせる気持ちで、ルークの心の傷をダイレクトに視聴者に伝えてもよかったんじゃないかなー、とか。
その一方で、ルークへの対応が原作よりキツく感じられる部分もありました。「俺、変わりたい。……変わらなきゃいけないんだ」という彼の言葉を受けて、原作のティアは まず「本気で変わりたいと思うなら……変われるかもしれないわ」と言い、ルークがハッとして彼女を見つめると、「でも、あなたが変わったところで、アクゼリュスは元には戻らない。……何千という人たちが亡くなった事実も。それだけの罪を背負って、あなたはどう変わるつもりなの」と決意を問います。けれどアニメ版ではルークの「俺、変わりたい」から《間》を置かず「でも、あなたが変わったところで」に繋げていたので、ティアがルークの思いを頭ごなしに否定したように感じられました。 最初にアニメを観た時、原作との会話の差異に気付いていなかったので、どうしてこんなに、このティアの言葉が過酷に感じられるんだろう、原作でそんな風に感じたこと無かったのに、と不思議に思ったのです。 原作のティアはルークが変わる可能性があることを認めた上で、《変わっても罪が帳消しになるわけじゃない、だから報われないかもしれない。それでも変わろう、前に進もうという覚悟がありますか》と確かめてる感じなんですが、アニメだと間髪入れずに強い口調でルークに迫ることになるので、《あなたが幾ら変わっても今更どうにもならないよ。無駄》と言ってるみたいにも感じられちゃう。 ワンクッション置くか置かないかで、こんなに印象が違う。
ティアに背を向けられ「やっぱり分かっていないと思うわ。そんな簡単に……死ぬなんて言葉が言えるんだから」と言われた後も、もう少し《間》が開いていたら嬉しかったなぁ。ルークが、どうしたらティアに信用してもらえるだろうかと考えを巡らせる、そんな《間》が。間髪入れずにナイフを求めて断髪したので、早足展開に感じられました。 いや。ドラマCD版に比べればよっぽど余裕ありありなんですけどね。(^_^;) 尺が足りないから仕方ないんだ、ということなんでしょうが、アッシュの過去エピソードを夢ではなく回想にしてワイヨン鏡窟辺りに組み込むとか、いっそアッシュとジェイドが夜の甲板で話すオリジナルエピソードを入れないでおいたら、そのくらいの余裕は稼げたんじゃないでしょうか。 エピソードの補完やオリジナルシーンが有るのと無いのとではどちらがいいかと問われれば、そりゃ有る方がいいに決まってます。ですが。本筋部分を犠牲にするくらいなら、無理して入れてくれずともよい派です、私は。枝葉の補完は、主幹たる《主人公の物語》をしっかり立ててこそだと思いますです。
さて。グダグダ言いっぱなしで申し訳なかったですが、ここ以降は、文句なしに素晴らしかったです。 ルークの断髪シーンは、原作のムービーそっくりに作ってありました。ただ、断髪直後のルークの頭が鳥の巣みたいにボサボサでしたね(笑)。あと、ティアがガーターベルトからナイフを抜く様子が見られました。オォー。最後に「……そうね。見ているわ、あなたのこと」と微笑む彼女は、原作以上に優しい感じで、明るい希望が感じられてとてもよかった。「でも気を抜かないで。私はいつでもあなたを見限ることが出来るわ」という台詞をカットしていたのも良かったです。 ティアの言葉を聞いて、決意の立ち姿のまま目元を笑ませるルーク。止め絵で表現された、感動的なラストカットでした。
今回の総論。
ではまた次回。 |