【カチカチ山】の広がり

カチカチ山」は日本五大昔話の一つに数えられている。といって、この物語が日本固有のものかと言えば、どうもそうではない。少なくとも、前半部(A型)と後半部(C型)の独立類話は、それぞれ海外にも広く分布している。

 文献上で遡れば、日本の「カチカチ山(C型)」は少なくとも江戸時代には今の形でまとまっていた。当時の赤本にもあるし、江戸後期の学者・帆足万里も『記翁媼事』において以下のように書き記している。

 おきなおうなの同居する者有り。翁、野にしょう(柴刈り)して狸を、生きながらばくしてこれを梁上りょうじょうく。まさに出で行かんとし、媼にえらく、「狸を殺してあつもの(スープ)つくり、ぞく(穀物一般のこと。ご飯)を炊きてもって我を待て」と。すでにして行けり。

 媼、ぞく(搗いて精製する)こと苦し。狸、梁上より媼にっていはく、「媼、なんぞしばらく我がいましめかざる。我、媼に代わりてかん」と。媼、以ってしかりとなし、そのいましめきたり。狸、にわかに媼を臼中きゅうちゅうし、杵をげてこれをき殺す。そのももきてあつものつくり、しかばねかまどの後ろに置きて、自ら媼とりてぞくを炊きて、以て翁を待つ。

 翁いた(爺は帰ってきて)あつものくらいて、これをうま(美味い)とす。狸、時に微誦びしょうすらく(小さく詠うようにして)「なんぞかまどの後ろをざる」と。翁これを視れば、媼の屍あり。いかりてこれ(狸)を撃つ。狸、傷つきつ走れり。これを追えども及ぶあたわず(追ったが追いつけなかった)

 

 翁、狸に報いん(報復しよう)と欲すれども、けいいづる所なく(方法を思いつかず)前山ぜんざん兔公とこうはか(近くの山のウサギ氏に相談した)。兔公いはく、「吾子ごし(貴公)のために、これを報いん」と。

 

 狸、傷を病みてす。兔公、即ち)(医者)りて、以てえつし、蕃椒ばんしょう(トウガラシ)きてきずに付く。きず大いに痛む。兔公曰く、「(貴公)やまひはなはだ(大変ひどい)。なんぞ出遊して(どうして外に気晴らしに出て)、以てこれを解かざる(よって病気を解消しないのだろうか)」と。

 すなわち、あらかじ二舟にしゅうを江上(川辺)そな(用意して)、自らその木舟に乗り、えいして(櫂を漕いで)曰く、「泛泛はんはんたるかな木舟や(どんぶらこんぶら木の舟や)」と。狸をして土舟に次乗せしむ。えいして曰く、「泛泛はんはんたるかな土舟や」と。未だ岸を離れざるに、沈溺ちんできして死せり。

 肝心の《狸の背負った荷物にカチカチと火打石を鳴らして火をつける》という要素こそないものの、これが「カチカチ山」であることに異論のある人はいないだろう。

 

 柳田国男は「カチカチ山」を、以下のような三つの異なる物語を合成して作りだしたものだと考察した。

  1. <第一話>悪戯ものの動物が捕らえられる話 (爺が狸を捕まえる)
  2. <第二話>動物が知恵で危機を乗り越える話 (狸が婆を騙して殺し、逃走する)
  3. <第三話>動物たちの争いの話 (ウサギが狸をいたぶって殺してしまう)

 柳田は、物語前半部(第一話、二話)の《狡猾で残忍な狸》と後半(第三話)の《愚鈍でお人好しな狸》は、キャラクター性がまるで異なっていると指摘した。後年には、ビルマ(ミャンマー)の民話に第三話(関敬吾の分類ではB型)の類話、「虎と意地悪ウサギ」「いたずらウサギ」を見出し、両者の類似はとうてい偶合とは思われぬと痛感したこともあって、「カチカチ山」は複合説話であり、第三話(知恵者ウサギのいたぶり)は後年に付け加えられたものだろうと唱えたのである。

 

 知恵者ウサギのいたぶりの中に、ウサギが狸の傷にトウガラシ製の薬を塗って苦しめるくだりがある。志田義秀はここに着目し、「カチカチ山」の成立年代を室町末期であると推定した。トウガラシが日本に伝来したのを、秀吉の朝鮮侵略、もしくはポルトガル人の渡来によるものと仮定し、トウガラシの登場する物語もこの時期に成立したはずだとみなしたのである。

 ただし志田は、「カチカチ山」の原型は日本神話の「因幡の白うさぎ」であるとしていて、《赤剥けのウサギが治療と偽って潮水を勧められて苦しむ》話が《傷を負った狸が治療と偽ってトウガラシを勧められて苦しむ》話に変わったと論考しているのだが。

 とはいえ、柳田が見出したミャンマーの類話では、ウサギは「蜂刺されに効く薬だ」と騙して熊にトウガラシの薬湯を与えて苦しめている。海外に《トウガラシの薬》を同じ方法で使った類話が存在しているのだ。それを視野に入れれば、「因幡の白うさぎ」が変形して「カチカチ山」になったとは思い難い。確かに、《トウガラシ》の薬を一般に語るには現物が日常に存在せねばならず、そう考えれば「カチカチ山」という物語自体がトウガラシの現物が伝来して以降に伝播された…と考えることができるのだが。

 ただ、物語の中にその社会にない習慣や物品が登場していても、それが物語伝播の妨げにはならないことも確かである。要素の置き換えは、語り手の裁量で簡単に出来てしまうものだからだ。実際、「カチカチ山」ではトウガラシではなくたでを火傷に塗ったとしているものが多い。(蓼は日本に自生し、強い辛味があり、香辛料として用いられる。) また、物語の伝播が数度に渡って行われた可能性もある。トウガラシの伝来以前にも、「トウガラシの薬」のないバージョンの「カチカチ山」が日本で語られていた可能性は否定できないだろう。その要素がなくても成立し得る物語だからである。

 「因幡の白うさぎ」が、《小さいが狡賢い獣が、大きいが愚鈍な獣を出し抜く》話の一つであることは確かなので、その視点から見れば「カチカチ山」とは類縁関係にある。恐らく日本伝播以前に既にあった《騙されて、傷に刺激物を塗られて苦しむ》という同じモチーフを、それぞれが別に取り入れているのではないだろうか。

 

 ウサギがライバルをいたぶる方法は、海外の類話を見ると実に多数ある。対して日本の「カチカチ山」では概ね《ライバルの(負い荷/小屋)に放火する》《火傷にトウガラシを塗る》《泥船に乗せる》の三種に固定されていて、たまに《山の上から転がり落とす》というパターンが見える。そして意外に多いのが《ライバルの肛門を塞ぐ》というものだ。これは逆に、海外の類話では殆ど見ない。

 どうして日本では《肛門を塞ぐ》いたぶりがこんなに人気になったのか。それを考えてみると、また違った切り口が見えて面白いのかもしれない。

ひっくり返った構図

 動物昔話として認識されている「カチカチ山」だが、物語の始まりは《老夫婦と狸》の葛藤である。 

 狡賢い動物がライバルに捕らえられ、しかし奸智でもって逃げるという民話は海外にもあり、珍しいものではない。ただ、「カチカチ山」の狸はただ逃げ出すのではなく、アグレッシブな方法で殺害まで犯している。

 狸は婆を騙して戒めを解かせ、そのうえで杵で殴り殺した。更にその肉で婆汁を作る。類話によっては婆の皮を剥いでまとい、婆に変装する。これがひどく残虐だというので、近年子供に語り聞かせる際にはカットされ、《狸はお婆さんに怪我をさせた》という程度に語り直されるのが通例だ。だから逆に、たまに本来の民話そのままが紹介されると「こんなに残酷な話だったなんて!」と驚かれている。

 とはいえ、世界中の説話を見ていくと、この展開は決して珍しいものではない。日本国内でも、【瓜子姫】話群にはこの要素が入っている類話がある。

瓜子姫子  岩手県和賀郡更木村

 婆が川で瓜を拾い、持ち帰ると女の子が生まれた。瓜子姫子と名付けて夫婦で可愛がって育てた。

 両親が赤い着物とかんざしを買いに出かけた留守に、狢が娘に化けてやって来る。尻尾が見えるので姫は戸を開けなかったが、狢は無理に入って来て姫を殺し、その肉は煮て、皮は剥いで被って姫に化けていた。

 やがて両親が帰ったが、買ってきた赤い着物を喜ばないので不思議に思う。また、何の肉を煮ているのかと問うと、隣から狢汁をもらったのだと言い、食べるよう勧めた。食べ終わったところで姫の皮を脱いで、

 目腐れ爺ゴと 目腐れ婆コァ
 瓜子姫コせけで知らなかけ、ほういほい

と囃し立てて山へ逃げ去った。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950.


参考 --> 「瓜子姫子」「カチカチ山(A型)

 この「瓜子姫子」や「カチカチ山」では、姫や婆を騙して殺して煮てしまう獣の方が、間違いなく《悪役》である。それは、この後に続けて、ウサギや老夫婦による仇討ちが追加された類話が多いことでも明白だ。

 ところが世界の伝承に目を転じてみると、不思議なことに気付く。海外にも《狸がお婆さんを謀殺する》のとよく似たエピソードを持つ説話は多くあるのだが、基本的に、それらは《主人公が知恵で危機を脱し、悪者を退治する》話として語られている。……つまり、善悪が逆転しているのであった。

ヴェルンドの歌  アイスランド 『古エッダ』

 フィンランド王に、スラグヴィズ、エギル、ヴェルンドという三人の息子がいた。彼らはウールヴダリルという地に住んでいた。

 ある日、三羽の白鳥が海岸に舞い降りて羽を脱ぎ、美しい乙女となって亜麻を紡いだ。兄弟は羽衣を奪ってそれぞれを自分の妻にした。彼女たちは妖精ワルキューレであった。

 三兄弟は妻と七つの冬のあいだ共に暮らしたが、彼女たちは暗い森に焦がれる気持ちを抑えられずに去った。兄たちは空隙に去った妻たちを探し回るべく旅立ったが、ヴェルンドはその地に留まって、妻のヘルヴォル・アルヴィトのために七百もの黄金の腕輪を鍛えながら、その帰還を待つことにした。

 そんなある夜、ヴェルンドは妻を待ちながら熊の毛皮の上で眠りこんだが、目覚めると四肢を拘束されていた。それはスウェーデン王ニーズズの仕業であった。

「ヴェルンドよ、お前はどうやってこの偉大な妖精の宝を得たのか」
「私が自分で鍛えたのだ」

 王は革紐で下げられていたヴェルンドの妻のための腕輪を取って娘のベズヴィルドに与え、ヴェルンドの剣を取った。王妃は「腕輪と剣を見る彼の目の輝きは蛇のようです」と恐れ、「すぐに彼の活力を断ってください」と進言し、それは為された。ヴェルンドは膝の腱を切られ、本土に程近いセーヴァルスタズという小島に幽閉されて、そこでひたすらニーズス王のための宝を鍛えることになった。

 あるとき、島の鍛冶場にニーズス王の幼い二人の息子がやってきた。彼らは大箱の前に来て、黄金や宝石の詰まった箱を開けるように言った。「あなた方二人に黄金を差し上げましょう」とヴェルンドは持ちかけた。「しかしそのためには、明日、誰にも知られずにここに来なければなりません」

 約束通りに王子たちはやって来た。彼らは大箱の前に来て、箱を開けるように言った。彼らが覗いたとき、ヴェルンドは箱の蓋を素早く下ろしたので、王子たちの首は落ちて転がった。

 ヴェルンドは王子たちの胴体を、ふいごを据えた火床の中に投げ込んで灰にし、その頭蓋骨を銀で象嵌して作った美しい盃を王に、眼球から作った煌めく宝石を王妃に、歯から作った素晴らしいブローチを王女ベズヴィルドに贈った。彼らはそれが何であるのか気付かなかった。

 一方、王女ベズヴィルドは父に贈られた例の腕輪を壊してしまい、叱られるのを恐れて、修理するためにこっそりヴェルンドの鍛冶場を訪れた。

「私が黄金で接いであげましょう。大丈夫、王にも王妃にも分かりません。あなたは叱られずに済みますよ」

 ヴェルンドは王女にビールを飲ませ、彼女はたちまち眠り込んだ。

「お前の父が私の足の腱を切ったのだ。復讐してやるぞ」

 ヴェルンドはぐったりした王女を犯した。彼女は泣いた。

 ヴェルンドは翼を作って島を出た。(『シドレクス・サガ』によれば、彼の兄のエギルが鳥を仕留めて羽根を与え、それで羽衣を作った。)

 ヴェルンドは鳥のように王城の上にとまっていた。王は怒り嘆いていた。

「息子たちが姿を消してから私は殆ど眠れない、楽しめない。偉大な妖精ヴェルンドよ、答えよ。我が息子に何が起こったのか」

「王よ、お前は定めを受け入れなければならない。お前の娘は私の子を宿しているが、娘を殺してはならない。子供を城で育てねばならない。年老いるお前に、もう血を継ぐ男児はいないのだから。

 お前の息子たちは死んだ。ふいごの据えられた鍛冶場を探せば血痕が見つかるだろう。私はお前の二人の息子の頭を打ち、胴体は始末した。頭は銀で象嵌してお前に贈った。眼球は煌めく宝石にしてお前の妻に贈った。そして歯からはブローチを作り、ベズヴィルドに贈った」

「なんということを……! 逃がさぬ。お前を優れた射手が狙っているぞ!」

 ヴェルンドは笑って飛び去った。(『シドレクス・サガ』によれば、ヴェルンドは血の入った袋を脇に付けておいて、矢はそれに命中して血がほとばしった。人々はヴェルンドが死んだと思ったが、彼はまんまと逃げ延びた。)

 王は娘を呼んで真偽をただした。娘はヴェルンドが告げたことは事実だと述べ、嘆いた。

 

※ヴェルンドが羽衣をまとって飛び去るくだりは、ギリシア神話で名工ダイダロスが息子イカロスと共に人工の翼でミノタウロスの迷宮から脱出するエピソードと対応している。羽衣をまとって飛び去るのは魂の飛翔の比喩。牢獄として使用される小島や迷宮は冥界の比喩であって、即ち、「魂の冥界(死)からの逃亡」という暗示が根底にあると考えられる。

 また、箱を覗き込ませたところで蓋を閉めて首を落として殺すのは、「杜松の木」や「灰まみれの牝猫」でも見られるモチーフだが、「カチカチ山」で狸が婆に「上手く搗けたか見てくれ」と臼を覗き込ませたところで杵で殴り殺すのと、状況的に近いとも感じられる。

参考 --> 「金の足」【白鳥乙女

 以上の「ヴェルンドの歌」は、凄惨な話ではあるが、主人公は捕らえられたヴェルンドであり、正道は彼にある。謀殺された王子たちは哀れだが、それは復讐の結果であって、非はスウェーデン王家の方にあることになっているのだ。

 イギリス民話「賢いモリー」を見てみよう。モリーは人食い鬼の家に盗みに行き、追って来る人食い鬼をからかっては逃げ去る。狸が畑を荒らして爺をからかっては逃げたように。三度目にとうとう捕まえられ、爺が狸をそうしたように、人食い鬼はモリーを殺して食べるため、袋に詰めて家の壁に吊るすと殴殺用の棒を取りに森に行く。モリーは袋の中から、留守番の人食い鬼の妻に話しかける。袋の中に素晴らしいものが見える、と。ちょうど狸が「上手く搗けたか臼の中を見てくれ」と婆を誘ったように。妻はそれが見たくなり、モリーの代わりに袋に入ったところで閉じ込められる。帰ってきた人食い鬼は袋の中身が妻だと気付かずに散々叩きのめす。爺が気付かずに婆汁を食べてしまったように。全てが終わった時、モリーは狸がそうしたように、姿を現して嘲って逃げ去る。

クワシ・ギナモア童子」「袋の中の男の子」など、【童子と人食い鬼】系の話には、しばしばこのモチーフが現れる。これらの主人公はあまりに狡猾なので、やりこめられる人食い鬼の方が可哀想に思えてくるくらいだ。「魔女カルトとチルビク」など、特にそう思える。

 思うに、そのような「主人公の方がひどいんじゃないか?」という観点が、物語の善悪の構図を逆転させたのではないか。だから、自分を食い殺そうとした鬼爺と鬼婆を知恵で退治した、本来なら主人公であるはずの狸の方が、仇討ちで退治される悪役になってしまったのではないだろうか。例えば、ジョーエル・チャンドラー・ハリスがアメリカ黒人に伝わる伝承を元に書いたとされる『リーマスじいや』シリーズのブレア・ラビットの物語などは、その過渡期にある物語であるように思える。主人公はずる賢い兎の方で、そちらが勝利するが、彼にやり込められた敵役の方に倫理的な正義がある形になっている。

 人間が罠を仕掛け、畑を食い荒らす兎を捕まえた。人間が兎を殴るための棒を取りに林に入って行った間に狐が通りかかって、縛られている兎を見て嗤った。というのも、兎と狐はたいそう仲が悪かったからである。

 ところが兎はケロリとして、わざと縛られているんだと言う。知り合いとばったり会って、結婚披露宴に誘われた。けれど自分は気紛れだからいつ気が変わるか分からない。だから迎えの駕籠が来るまでの間、縛っておいてくれと自分から頼んだのだと。

 披露宴にはご馳走がたっぷりあると聞いて狐が羨ましがると、兎は自分の代わりに出席すればいいと言って縄をほどかせ、狐をぐるぐるに縛って立ち去った。人間が戻ってきて兎が狐に変わっているのを見て驚いたが、狐も悪さをする動物だからとそのまま殴った。

 やがて棒が折れたので人間が新しい棒を取りに林へ行くと、兎が戻ってきて、「これからは私に会ったら丁寧に挨拶することだ」と約束させ、狐の縄をほどいて一緒に逃げ去った。

 

 ところで、「ヘンゼルとグレーテル」の類話であるマルタ共和国の「人食い女」は、様々な面で「カチカチ山(A型)」と対応していて面白い。そして善悪は逆転している。

カチカチ山」の狸が爺の畑を荒らしたように、「人食い女」の主人公たる末娘は、魔女の畑を荒らす。何度も荒らされた結果、魔女は畑番をして、岩陰に隠れた末娘を捕らえ、家に運んで伏せた容器の下に入れて飼う。太らせて食べるためだ。それを察知した末娘は、魔女をパン焼きシャベルの上に座らせてかまどの中を覗き込ませ、燃えるかまどの中に突き込んで焼き殺した。そして焼けた肉を食卓に出し、自分は魔女に変装して、それを帰宅した魔女の夫に食べさせたのであった。

 しかしこの話が恐ろしいのは、そこで末娘が逃げてオシマイ……にはならないところだ。末娘は魔女の夫(老爺)すらも騙して殺害する。そして自分の家族を呼んで、魔女の家に住んで魔女の財産を使って幸せに暮らすのであった。

 

 神話や民話の世界では、殺す、皮を剥ぐ(その皮をまとう)、料理する(その肉を食べる)と語られることは決して珍しくはない。それは《敵に殺されること》や《獣を殺して料理すること》が現代よりももっと身近な事象だったからであろうし、また、古い信仰の名残でもあるように思う。皮をまとえばその者と同一化して力を手に入れ、肉を食べればやはりその者と同一化して力を受け継ぐ。そして大地の女神の鍋て煮込まれ食われた者は新たな、より良い命へと生まれ変わる。かつてはそんな信仰があった。

 だが、人々の間から信仰が遠ざかり、《死》を残虐でしかないことだと忌むにつれて、伝承も《鍋で煮られそうになったが逃げて、逆に煮てやった》などという、逆転話として語られるようになるに至ったのではないか。

 

>>参考 <瓜子姫のあれこれ〜木をめぐる葛藤><死者の歌のあれこれ〜食人の神話><青髭のあれこれ〜「本当は怖い」民話?

磐座いわくらとタール人形

 畑を荒らす狸を捕獲するため、爺は狸がいつも座る(岩/切り株)にベタベタする(トリモチ/松脂/糊)を塗っておく。そうとは知らずに腰かけた狸は尻がくっついて動けなくなり、まんまと虜囚になってしまう。

カチカチ山」冒頭にあるこのエピソードについて、柳田国男は古い農耕儀礼が下敷きにあるのだろうと唱えた。畑の傍らの岩は祭場、トリモチは餅が原型で、捕らえられる狸の本来の姿は山の神霊であり、このエピソードの背後には農民たちが開墾地の傍らで行った神霊祈念の習俗が透かし見えると指摘したのである。

 しかし伊藤清司はこの説に懐疑的で、中国四川省チベット族の民話「野兎と少年」を紹介し、そのモチーフは中国大陸にもあって「カチカチ山」との関連深さは否定できないが、日本と同じような山神祭祀の痕跡を想定できる中国民話は見つけられないとしている。

野兎と少年  中国 チベット族

 昔、山に作った猫の額ほどの畑でエンドウ豆を育てて、それでやっと飢えをしのいでいる母と幼い息子がいた。ところがある年、日が暮れると一匹の野兎が現れてエンドウの芽を食い荒らした。母子は棒を持って毎晩見張りを続けたが徒労に終わり、一ヶ月もしないうちに根まで食いつくされてしまった。

 あくる年、母子は裸大麦に植え替えたが、これも野兎に食いつくされてしまった。そこで次には蕎麦を蒔いたがこれも同じ。次には馬鈴薯を植えたがやはりあらかた食い荒らされ、母は落胆して言った。

「私らの苦労がまだ足りないんで、菩薩様はもっと苦労させようと野兎を遣わしたんだろうかねぇ?」

 少年は腹を立て、畑の傍に罠を仕掛けて毎晩見張った。小利口な兎は罠にはかからなかったが、不思議な習性があることに少年は気付いた。毎晩、畑の作物を食べ終えると、平たい花崗岩の方へ駆けて行ってその上に腰を下ろし、前足で顔を洗ってから藪の中に姿を消したのである。

 少年は早速母親と相談し、杉の樹脂を取って来て花崗岩の上に塗っておいた。夜になると野兎が現れ、腹いっぱい食べてからいつものように花崗岩の上に座った。そこで尻がくっついて動けなくなり、少年に捕らえられた。

 母は急いで家に帰って湯を沸かした。そして野兎の皮を剥いで料理して食べようとしたが、野兎は母子に自分の非を詫びて命乞いをした。

(これ以降は、野兎が命を助けられた恩返しに、才智を働かせて熊退治したり、財産を母子にもたらしたりする、兎大活躍の報恩譚になると言う。ほぼ同内容の類話がやはり四川省のチャン族にも伝わっており、そちらでは畑を荒らす兎が傍の石の上で日向ぼっこをしようとすると、母子が予め塗っておいた松脂で身動きできなくなる。以降はやはり兎が母子を幸せにする報恩譚になる。)



参考文献
「野兎与少年」/『奴隷与龍女』 肖崇素著 中国少年児童出版社
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

 更に伊藤は、中国江西省のチワン族が伝える兎の長耳の由来譚を紹介し、このモチーフの別方向への広がりのアプローチを試みている。

小さな白兎の話  中国 チワン

 怠け者の子兎が、母親に叱られて自分で餌探しに出かけた。母親の注意を無視したのでろくな目に遭わなかったが、やがて人影のない瓜畑を見つけ、瓜を盗み食いできた。それからというもの、腹が減るとそこに出かけるようになった。

 やがて瓜畑の持ち主がそれに気づき、兎を捕らえようとしたが失敗した。そこで餅米で作った餅を捏ねてネバネバした番人像を作り、畑の中に立てておいた。

 さて、またやって来た兎は、最初は番人がいるのを見て逃げたが、追ってこないのに気付くと大胆になり、近付いて声をかけた。それでも反応がないので前足で腹を殴ったところ、くっついて離れない。罵り喚いて暴れるほどにくっついて、とうとう身動きできなくなってしまった。

 そこへ瓜畑の持ち主がやってきた。兎が後悔して詫びたので、持ち主は許し、兎を餅人形から開放してやろうと耳を掴んで引っ張った。それ以来、兎の耳は長い。



参考文献
「小白兎的故事」/『民間文学』 儂易天著 1955.
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

 この民話は先に紹介した「野兎と少年」に似ているが、アフリカなどに伝わる《タール人形》の民話ともそっくりなのだ。

ギゾの畑  西アフリカ ハウサ族

 雨季になったとき、蜘蛛ギゾが女房の蟷螂コーキに言った。
「俺は落花生の畑を作るぞ。お前、落花生の種を買って来て煎ってくれ。煎った方がよく育つからな」

 女房は煎った落花生を瓢箪ふくべの器に入れた。ギゾはそれと鍬を持って野原へ出かけたが、落花生をポリポリ齧りながら一日ブラブラして帰って来た。(別説によれば、生落花生を持って出かけたものの、怠け者だったので木陰に涼んで落花生を食べて寝て過ごしてしまった。それから体に泥を塗って家に帰り、よく働いたふりをした。)

 こんな日々が延々と続いて、じきに収穫の時期になった。近所の落花生畑が実ったのを見て、女房が「ウチも収穫しましょう、畑に連れて行って」とせがんだ。ギゾは何食わぬ顔で女房を王様(別説では、隣人)の落花生畑へ連れて行き、「ごらん、これが俺の落花生畑さ。俺も大したもんだろう」と言った。夫婦は落花生をたっぷり掘り取って家に帰った。

 それからというもの、ギゾは毎日、王様の落花生畑へ行っては両手で運べるだけの落花生を取ってくるようになった。ギゾの家は落花生ではちきれんばかりになり、小屋を建て増ししてはそこに落花生を収める有様だった。

 そのうちに、王様の息子たちが落花生畑を見回りにやってきて、畑がひどく荒らされているのに気がついた。彼らはその場で「何者がこんなに荒らすのか、見届けてやろうではないか」と見張りの相談を始めた。そこに折りよくギゾがやって来て様子に気付き、瓢箪の器の中に入るとわざと音を立てた。王様の息子たちはびっくりして、「おい、聞いてみろ。あの器が何か言っているぞ」と聞き耳を立てた。すると器の中からギゾが言う。

「俺様は王の落花生を食った者だ。そのうち王の息子たちを食ってやる。王も食ってやる」

 これを聞いて息子たちは慌てて逃げ出した。

 報告を受けた王様は、今度は自分の目で確かめようと、あくる日に支度をして馬にまたがり、息子たちを引き連れて落花生畑へやって来た。ギゾも来ていて、王様の一行が近づいてくるのを見るや、さっそく瓢箪の器の中で音を立てた。王様が驚くと、息子たちが声を聞いてみるようにと勧める。耳を澄ますとこんなことを言っている。

「俺様は王の落花生を食った者だ。昨日は王の息子たちをもう少しで食うところだったが、今日こそは王を食ってやる」

 これを聞いた王さまは一目散に逃げ帰って、みなに「どうも、私の落花生畑には何やらたちの悪いモノが棲みついているようだ」と告げた。やがて山犬が進み出て言った。

「王様、宜しければ私めがそやつを退治して差し上げましょう。十日間ほど、王様の落花生畑に出入りすることをお許しくださいませ。それから、ゴムのネバネバでこしらえた女の人形と、食事とを、畑にいる私めの所に届けていただきたいのですが」

 王は喜んで承知した。

 さて、そんな事とは知らないギゾが落花生畑へやってくると、美しい顔で乳房の大きな女が立っている。この案山子に挨拶したが返事がない。腹を立てたギゾは「無視する気か」と怒鳴ったが黙っている。それで殴りかかったが、手がネバネバにくっついて取れなくなった。ギゾは「この娘は、恥ずかしいってことを知らないのかな。俺の手を握って放さないぞ」と呟いた。次に蹴とばしたが、これもくっついてしまう。日が高くなるとネバネバは溶けてきて、ギゾは身動きできなくなってしまった。(別説では、まず乳房に触れたところくっついたので、この娘は俺に気があるなと喜んでもう一方の乳に触れると取れなくなったので、怒って蹴って貼り付いたとなっている。)

 

 以降の展開は二つのパターンに別れる。一つは、ギゾが罰されるパターン。

 隠れて見張っていた畑の持ち主が出てきて、捕まったギゾを見て神に感謝し、木の枝を切って火で温め脂を塗りこんだ鞭で背中の皮がむけるまで打った。それから釈放し、もう一度盗みに来たら殺すぞと脅した。こうして罪人は相応の罰を受けた、という話。

 もう一つは、ギゾがまんまと切り抜けて罰を受けないパターン。

 ギゾが人形に捕らえられて身動きならなくなったとき、寝坊して荒地へ急ぐハイエナ姐さんクーラーが通りかかった。

「おや、ギゾ。何しているの?」
「いやはや、連中、俺には無理なことをやらせようって言うのさ。俺に肉をさばけって。断ったら、こうして拘束しやがった」
「何の肉をさばくの?」
「でっかい牛だよ。まあ、肉をさばくくらいのことは俺には朝飯前だが、牛の足を全部持ってかなくちゃならないからな。どうしたもんか」
「その足、どうするの?」
「なに、俺のものになるのさ。牛の足なんかもらったって役に立ちゃしないのにね。あんた、欲しいのかい?」
「ええ、欲しい。欲しいわよ」
「それなら、ちょっとこの娘をおさえておいてくれ。連中を呼んでくる」

 ハイエナはネバネバ案山子を力いっぱい抱きしめた。ギゾはやっとのことで手足を引き抜き、案山子と取っ組んでいるハイエナを放っておいて、とっとと逃げ出した。

 正午になると人々がやってきて、「ハイエナだ、ハイエナが犯人だったんだ」と騒いだ。というわけで、哀れハイエナはギゾの罪をひっかぶって、殺されてしまったとさ。



参考文献
『語りつぐ人びと*アフリカの民話』 江口一久/中野暁雄/西江雅之/松下周二/守野庸雄/和田正平/スーザン・ムゾニ・ムワニキほか著訳 福音館文庫 2004.
『アフリカの神話』 ジェフリー・パリンダー著、松田幸雄訳 青土社 1991.

※部族によって呼び名は様々だが、アフリカでは蜘蛛はウサギと並ぶ、入れ替え可能のトリックスターである。ほぼ同じ内容で兎がタール人形に捕まるバージョンもある。ジョーエル・チャンドラー・ハリスの『リーマスじいや』シリーズに収められた、ブレア・ラビットの数々の物語は特に有名である。以下に一部を要約。

 の落花生畑をウサギが食い荒らす。狐が罠を仕掛けておいたので、ウサギはそれに掛かってトネリコの木に足から吊り下げられる。熊が通りかかると、自分はこうして案山子役になって働いている、簡単な仕事だから代わってやってみないかと誘い、熊が木に吊り下がってみた途端、「畑荒らしが捕まったぞ」と騒いで狐を呼ぶ。狐が熊を殴っている隙に逃げる。

 また別の話。いたずら者のウサギをこらしめようと考えた狐が、コールタールと松脂を混ぜて人形を作り、ウサギの通り道に立てて隠れて様子を見ていた。やがてウサギが来て人形に挨拶したが返事をしないので腹を立てて殴ると片手がくっつく。もう片手で殴るとそれもくっつく。蹴ると両足がくっつく。身動きできなくなった所に狐が笑いながら出て行ってそのまま焼いてやろうかと脅すと、ウサギは「どうか焼いてください、でも野薔薇の茂みにだけは投げ入れないでください」と懇願する。どんな殺し方を提案しても「そうしても構わないが、どうか野薔薇の茂みにだけは投げ入れないで」と言うので、狐はウサギがよほどそれに弱いのかと思って野薔薇の茂みに投げ入れる。しかしウサギはいつも野薔薇の茂みで生活していたので、まんまと逃げて嘲笑った。

 

参考 --> 「水の踊り」「人食い女

 神像に粘着物を塗って相手を捕らえるモチーフは世界的に分布し、その起源はアフリカ西部、あるいはインドだと言われている。伊藤は「カチカチ山」の岩にトリモチを塗って狸を捕らえるモチーフもその一端ではないかと示唆している。



 その筋も確かにありそうなのだが、個人的には、柳田国男の山神祭祀説も捨てがたい。硬いものに粘着物を塗って敵を捕らえるモチーフは世界中にあるが、硬い物が人形(神像)である場合と、石や切り株である場合とに大別される。人形である場合は誘い込む罠なのだが、石の場合は、相手が元々、いつもそれに腰かけて休んでいたと語られることが多い。

猿にさらわれた娘」や「熊の精」のような中国民話、そして日本の「猿長者」など、獣の姿をした神霊が山から人里にやってきては、いつも同じ石に腰かけて恨み言を言う、と語るものがある。その石を熱く焼いておくと、霊は逃げ去って二度と来なくなる。あるいは、石にトリモチを塗っておいて動けなくなったところを退治した、などと語る。

 ラトビアの民話「人狼の皮」では、殺された王妃が狼の姿になって夜毎に子供に乳を飲ませに帰ってくる。ただし、帰ってくることができるのは三日の間だけ。三日目の晩、王は彼女がいつも腰かける石を熱くしておいた。すると狼の皮がくっついて取れなくなり、森へ駆け戻れなかった。王は彼女を抱きしめて捕らえ、再び妻にしたという。

 

 少なくとも日本には、大木や巨岩に神霊が寄り付くとし、それを祀る信仰がある。他国の説話でも巨岩の上に座る女神の姿を語るものがある。岩も山も森も冥界と交わるとされる場所だ。山から出てきては畑を荒らし、いつも同じ岩に腰を下ろす獣には、神霊的な匂いがしないだろうか。「猪の国を訪ねた男」や「ゼラゼと双子の兄弟」「ヴィラたち、馬に黍畑を食べさせる」など、獣の姿の神霊が夜毎に畑を荒らすと語る説話の定型があることも、その印象を後押しする。

カチカチ鳥が鳴くそうな

 ウサギが狸を柴取りに誘い出して、カチカチと火打ち石を鳴らして狸の負い荷に火を点ける。狸が「カチカチ言うのは何じゃいな」と問うと「カチカチ鳥が鳴いている」と答え、ボウボウ燃え上がって「ボウボウ言うのは何じゃいな」と問えば「ボウボウ鳥が鳴いている」と返す。これは「カチカチ山」でも印象的な、タイトルの由来にもなっているシーンである。

 類似のモチーフは、日本民話では[牛方山姥]話群に見える。山姥に大事な牛(馬)を食い殺された男が、山姥が鍋(箱)の中で眠ると、火を焚いたり熱湯を注ぎこんだりして殺してしまうのだが、カチカチと火打ち石を鳴らせば、鍋の中から山姥が寝ぼけたまま「カチカチ鳥が鳴くそうな」などと呟くのだ。蓋にごろごろと重石を乗せれば「ゴロゴロ鳥が鳴くそうな」と言い、熱湯を注ぎ始めた時には「鼠が小便をしている」などと呟く。本当に危険になるまで危機に気付かない。

 この語りの技巧は日本限定ではなく、世界的に見られる。中国の達斡爾ダフール族の民話にも、前を歩く悪者の負い荷に火打ち石をチャチャと鳴らして火を点け、「チャチャ鳥が啼いている」、フーフーと柴が燃え上がると「フーフー鳥が啼いている」と誤魔化して、焼いて退治してしまうものがあると言う。また、フランス民話「狼と豚とアヒルとガチョウ」(『フランス民話集』 新倉朗子編訳 岩波文庫 1993.)にも近いモチーフが見える。

前段

 豚おじさんとアヒルおばさんとガチョウおばさんがそれぞれ、謝肉祭に自分を食べようとした飼い主のもとから逃げ出し、ガチョウは藁や木の葉で、アヒルは木の枝で、豚は石と板と釘で小屋を作って独立する。森の狼がやって来てアヒルの家の戸を叩き、開けるのを拒むと屋根の上で暴れて小屋を潰す。アヒルはガチョウの家に逃げるが同じことになり、豚の家に逃げる。狼は豚の家を潰せず、懇願して少しずつ戸を開けさせ、とうとう中に押し入って「お前たちを食べてやる」と言う。

可哀想な狼くん、城主のフレボーさんの犬たちが駆けてくるよ。お前さんはおしまいさ」と、豚が言った。

「早く、俺を隠してくれ」

「さあ、パン櫃の中に入るんだ」

 狼がパン櫃に隠れると、豚は急いで蓋を閉め、ドリルで蓋にたくさん穴を開けた。

「何の音かい」狼が聞いた。

「シーッ、シーッ、フレボーさんの犬たちがお前さんを探して足でひっかいているんだ」

 豚は、火の上でぐらぐら煮え立っているお湯のはいった大きな鍋を持ち上げると、蓋の穴からざあーっと注ぎ込んだ。

「アイ、アイ、アイ、熱いよ、熱いよ」

「シーッ、シーッ、フレボーさんの犬がパン櫃におしっこしてるんだ」

 豚はどんどんお湯を注ぎ続け、狼は焼け死んだ。三人の仲間はパン櫃から狼を引きずり出して家の外へ運んだ。

 それからみんなは豚の家で仲良く暮らしたとさ。

おまけ:色々なエピソード

カチカチ山]に含まれるものと類縁関係にある、《狡猾な小動物》が敵をやり込めてしまう、よく知られたモチーフを幾つか並べてみる。

■ワニの背を踏み渡る

■穴からの救助

■ウサギの裁判官

■水鏡に跳びかかる

 

『イソップ寓話』にあることで有名な、肉をくわえた犬が水鏡に映った自分を敵だと思って吠えかかり、折角の肉を水に落としてしまうエピソードも、このモチーフに近い。

水鏡に映った像を本物だと思って身を滅ぼすモチーフは、「三枚のお札」や「天道さん金の鎖」系統の、人食い女が追って来る話に挿入されていることがある。木の上に隠れている主人公の姿を根元の水面に見た人食い女は、それが本物だと思って飛びこむ。

 なお、日本神話には、岩戸に籠もって世界を暗黒にしてしまったアマテラスに「あなたより素晴らしい神が現れました」と嘘を言って鏡を見せ、鏡像を本物だと思ったアマテラスが身を乗り出したところで岩戸から引き出すエピソードがある。

■死んだふり

 

[魚泥棒]と通称される、ずる賢い動物が死んだふりをして食料を盗むモチーフ。[尻尾の釣り]と複合していることが多く、フィンランドの研究者・クローンは北欧起源であると説いている。

 なお、人間の方が死んだふりをして動物から富を奪う民話が、シベリアのウデヘ族にある。貧しい爺さんが凍った河のほとりに寝ていると、沢山のウサギたちが出てきて、爺さんが死んでいると思い、爺さんの家へ運んで行く。家に入ると爺さんは戸口を閉ざしてウサギたちを殴り殺し、肉と毛皮で豊かになった。金持ち爺さんが羨んで真似をしたが、途中で「天気が悪くなりそうだ」とウサギたちが言いだして、爺さんを川に投げ捨てて帰ってしまった。おかげで金持ち爺さんはウサギを二羽しか捕まえられなかった。類話はアイヌにもあるようだ。

 この民話は、日本の【猿地蔵】にも似ている。寝ている爺さんを猿たちが仏像と勘違いして川向こうの山奥の住処(冥界)へ運んで行き、爺さんは猿たちの財宝を手に入れて帰ってくる。羨んだ隣の爺が真似るが、川を渡るときに笑ってしまったために川に投げ込まれ、ほうほうの態で帰ってくる。東北の類話では、爺さんは猿たちを袋に入れて殴殺して、毛皮を売ったり猿汁にして食べたりしており、シベリアの民話と更に似ている。類話は中国にもあり、勤勉な弟と怠け者の兄の話になっている。

■尻尾の釣り

■火を放つ

 

 この他、中国の「小さな白兎と虎」のように、ウサギが火に焼けない演技をするくだりが欠けていて、単に猛獣を騙して火を放つだけのパターンもある。中国や東南アジアの類話では、それ故に虎には焦げの縞模様が出来たと語ることが多い。日本の[カチカチ山]で、ウサギが狸の負い荷に火を点けたり、狸の小屋に火を放ったりするのも、この範疇に入る。

■ウサギと亀〜地道な努力の勝利

■ウサギと亀〜チームワークで騙す

 

 アフリカの民話を元にしているとされるジョーエル・チャンドラー・ハリスの『リーマスじいや』シリーズにあるウサギと亀の競争の話が、これと同じである。亀は家族をコースの各所に待機させておき、自分はゴール地点で待っている。

 文献上で最古と言われる類話は、十三世紀のラテン語詩のハリネズミの駆け比べ。内容はグリムのものとほぼ同じだが、競争相手が鹿で、駆け比べの理由が共同で耕作した畑とその収穫物の所有権を巡る争いになっている。牡豚が審判を行う。また、グリム版では知恵を出したのはハリネズミの夫で、妻に「余計な口を叩くな、女のくせに! 俺のすることだ、男の仕事に口を出すな。行くぞ、付いてこい!」と怒鳴りさえするのだが、ラテン語詩の方では妻の方が、負けるに決まっているどうしようと弱り果てていた夫に知恵を与えて成功させるのである。

 この物語はもっと古くから存在したという説もある。紀元前五世紀のギリシアの壺に、ハリネズミ二匹が狐を審判にしてウサギと駆け比べをしているらしき絵が描かれてあるからである。

■ウサギと亀〜尻尾に掴まって騙す

 

 既に十三世紀には知られていたドイツの詩にも、蟹が狐の尻尾にしがみついておいて徒競争に勝つものがある。

主な参考文献
『昔話 伝説の系譜 東アジアの比較説話学』 伊藤清司著 第一書房 1991.

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