>>参考 「隠元豆の娘」「太陽の娘」「姥皮」「鉢かづき姫(熊本)

 

蛙の王女  ロシア

 昔、ある国に王様とお后様が住んでいた。息子が三人いたが、みんな口でも絵でも表せないほどのハンサムぞろい。三人とも独身で、末息子はイワン王子と呼ばれていた。

 ある日、王様は息子たちに言った。

「愛しい息子たちよ、一本ずつ矢を取って強弓につがえ、思い思いの方向に放つがよい。自分の矢の落ちた屋敷の娘を妻に迎えるのじゃ」

 長兄が矢を放つと、その矢はある貴族の屋敷の姫君の塔の正面に落ちた。次兄が放つと、矢はある商人の屋敷まで飛んで行き、表玄関に刺さった。そこには愛らしい商人の娘が立っていた。末の弟が放った矢は汚い沼に落ち、蛙がその矢をくわえていた。イワン王子は言った。

「どうして蛙など妻にできましょう。蛙は私に吊り合いません」

「いや、妻にするのじゃ。それがお前の運命なのだから」と、王様が答えた。

 こうして王子たちは結婚した。一番上は貴族の姫君、二番目は商人の娘、そして末のイワン王子は蛙を妻に迎え取った。

 

 ある日、王様は王子たちを呼んで言いつけた。

「明日までに、このわしの為に柔らかい白パンを嫁たちに焼かせるのじゃ」

 イワン王子は暗い気持ちで家に帰ると、すっかり塞ぎ込んでいた。

「ゲロゲロ、イワン王子様。どうしてそんなに塞いでいるのですか。お父様から何かお叱りでも?」と、蛙が訊ねた。

「塞ぎ込まずにはいられないよ。父君が明日までに柔らかい白パンを焼くようにと、お前に命じられたのだ」

 どうして蛙にそんなことが出来るだろう。恥をかいて立場を失うだけに決まっている。けれど、蛙は落ち着いた様子で言った。

「ご心配なく、王子様。ベッドに入っておやすみなさい。一晩寝れば良い知恵も浮かびますわ」

 蛙は王子を寝かしつけると、蛙の皮を脱ぎ捨てた。すると、たちまち麗しくも賢い乙女ワシリーサになった。ワシリーサは玄関に出て大声で呼んだ。

ばあやたち、ねえやたち、みんな集まって支度しておくれ

ふわふわの白パンを焼くのよ

父様のお家で、いつも私が食べていたような白パンを

 あくる朝、イワン王子が目を覚ますと、蛙の前にはもうとっくに、ふんわりした白パンが焼きあがっていた。その見事なことと言ったら想像も絶するほどだ。(ただ、こうしてお話で語れるだけ。) しかも様々な趣向が凝らしてあって、左右の縁には国中の街の地図が関所まで沿えて描き出されてあった。

 王様が褒めたのは、イワン王子の妻の焼いたパンだった。そしてすぐに三人の息子たちに命じた。

「お前たちの妻に、わしの為に一晩で絨毯を一枚、織り上げてもらいたい」

 イワン王子は暗い気持ちで家に帰ると、すっかり塞ぎ込んでいた。

「ゲロゲロ、イワン王子様。どうしてそんなに塞いでいるのですか。お父様から何かお叱りでも?」と、蛙が訊ねた。

「塞ぎ込まずにはいられないよ。父君から一晩で絹の絨毯を織り上げよとのご命令なのだ」

 どうして蛙にそんなことが出来るだろう。恥をかいて立場を失うだけに決まっている。けれど、蛙は落ち着いた様子で言った。

「ご心配なく、王子様。ベッドに入っておやすみなさい。一晩寝れば良い知恵も浮かびますわ」

 蛙は王子を寝かしつけると、蛙の皮を脱ぎ捨てた。すると、たちまち麗しくも賢い乙女ワシリーサになった。ワシリーサは玄関に出て大声で呼んだ。

ばあやたち、ねえやたち、みんな集まって支度しておくれ

絹の絨毯を織るのよ

父様のお家で、いつも私が座っていたような絨毯を

 その通りになった。あくる朝イワン王子が目を覚ますと、蛙の前にはもうとっくに絨毯が織りあがっていた。その見事なことと言ったら想像も絶するほどだ。(ただ、こうしてお話で語れるだけ。) 金糸銀糸で手の込んだ模様が織り込まれていた。

 王様が褒めたのは、イワン王子の妻の織った絨毯だった。そしてすぐに三人の息子たちに命じた。

「息子たちよ、妻を伴ってわしに挨拶に来るのじゃ」

 イワン王子は暗い気持ちで家に帰ると、すっかり塞ぎ込んでいた。

「ゲロゲロ、イワン王子様。どうしてそんなに塞いでいるのですか。お父様から何かお叱りでも?」と、蛙が訊ねた。

「塞ぎ込まずにはいられないよ。お前を連れて挨拶に参上せよとの父君の仰せだ。だが、どうしてお前を衆目にさらせようか」

「ご心配なく、王子様。一人で王様のところにお出かけ下さい。私は後から参りますから。ガラガラと大きな音が聞こえたら、こう仰って下さいな。――あれは私の蛙姫が箱馬車に乗ってきた音です、と」

 

 その日が来ると、二人の兄はきらびやかに着飾った妻を連れて現れ、一人きりのイワン王子をからかい始めた。

「イワンよ、どうしてお前は嫁さんを連れてこなかったんだ。ハンカチにでも包んで持ってくればよかったのに。いったいどこであんな器量良しを探し出したんだい。さぞかし沼という沼を歩き回ったんだろうな」

 その時だ。突然ガラガラという大きな音が鳴り響いて、宮殿じゅうがぐらぐらと揺れ動いた。客人たちは肝を潰して席から飛び上がり、右往左往するばかり。するとイワン王子が言った。

「みなさん、怖がることはありません。あれは私の蛙姫が箱馬車に乗ってやって来た音なのです」

 六頭立ての馬車が飛ぶように走ってきて宮殿の前に停まると、中から麗しくも賢い乙女ワシリーサが姿を見せた。その美しいこと言ったら想像も絶するほどだ。(ただ、こうしてお話で語れるだけ。) 賢女ワシリーサはイワン王子に手を差し伸べ、取ってもらうと、花模様のクロスが掛かった樫のテーブルの前に一緒に歩いていった。

 客人たちは食べたり飲んだり陽気に騒いだりし始めた。賢女ワシリーサはグラスに口を付けると残りを左の袖に流し込み、白鳥の肉を少しかじると、骨を右の袖に隠した。二人の兄嫁はその奇妙な仕草を見て、そっくり真似をした。やがて賢女ワシリーサはイワン王子と踊り始め、左手をさっと振ると宮殿の庭に湖が現れて、次に右手を一振りすると湖面を真っ白な白鳥たちが泳ぎだした。王様も客人たちも驚いた。ところが兄嫁たちが踊り始めて左手を振ると客人たちにしぶきが掛かり、右手を振ると骨がまともに王様の目に当たったので、王様はかんかんに怒って、兄嫁たちを手荒く追い出してしまった。

 

 一方、イワン王子は隙を見て家に駆け戻り、蛙の皮を見つけだすと燃え盛る炎に投げ入れて焼いてしまった。家に戻った賢女ワシリーサは蛙の皮を探したが、影も形もない。彼女は悲しみに打ちしおれてこう言った。

「ああ、イワン王子様。あなたはなんということをしてしまったの。もう少し待って下されば、私は永久にあなたのものになれたのに。でももうお別れです。私に会いたければ、鉄の聖パンを三つ齧り尽くし鉄の靴を三足履きつぶして探してください。山を越え谷を越えた地の果ての国、不死身のコシチェイのところまで」

 そう言うなり賢女ワシリーサは真っ白い白鳥に姿を変えて、窓から飛び去ってしまった。

 

 イワン王子はさめざめと涙を流し、四方に頭を下げて神に祈りを捧げ、足の向くまま歩き出した。どれほど歩き続けただろう。やがて一人の老人に出会った。

「ごきげんよう、若いお方よ。何を探しにどこへ行くのかね」

 王子は我が身の不幸を話して聞かせた。

「いやはや、イワン王子よ。どうして蛙の皮を燃やしてしまったのじゃ。お前さんが扱えるものではないのに。

 賢女ワシリーサは自分の父親よりも利口で器用に生まれついていた。それで父親が腹を立て、三年の間 蛙の姿でいるように命じたのじゃよ。ほれ、この糸玉をお前さんにあげよう。これが転がっていく方に、めず臆せずに付いていくがいい」

 イワン王子は老人に礼を言うと、コロコロと転がっていく糸玉の後を追って歩き出した。広い野原を歩いていくうちに熊に出会った。王子は言った。

「よし、こいつを殺してやるぞ」

 すると熊が人の言葉で命乞いをした。

「助けてくれ、イワン王子よ。いつかきっとお前を助けるから」

 熊を見逃して先へ進むと、空飛ぶ雄鴨が見えた。王子が銃で狙いを定めようとすると、鴨が口をきいて言った。

「撃たないで、イワン王子。いつかきっと助けますから」

 雄鴨を撃たずに先へ進んでいくと、すがめ(片目だけ細い・斜視など、片目に障害があること)の兎が走っていた。王子はまたもや銃を構えたが、兎は人間の声で言った。

「私を撃たないで、イワン王子。いつかきっとあなたを助けますから」

 イワン王子は兎を殺さずに先へ進んで行った。青い海のほとりまで来ると、砂の上に梭子魚カマスが横たわっていた。

「ああ、イワン王子。後生ですから私を青い海に放してください」

 イワン王子は梭子魚を海に投げ込むと岸辺を進んで行った。

 

 どれほど歩いたことだろう。転がる糸玉は一軒の小屋の方を目指していた。その小屋は鶏の足の上に建ち、ぐるぐると動き回っているのだった。イワン王子は言った。

小屋よ、小屋よ

母が建てた時のように、いにしえの時のままに止まっておくれ

表は私を向いて、背は海に向けて

 すると小屋はぐるりと回転して、海に裏を向け王子に正面を向けて止まった。王子が中に入ってみると、暖炉の九段目の煉瓦の上に、骨の一本足をいっぱいに伸ばして山姥ババ・ヤガーが横になっていた。鼻は天井まで伸びて鼻水は敷居を越えて垂れ下がり、乳房を扉の掛金に引っ掛けたまま、突き出た歯を棚に載せて研いでいる最中だった。

「おやまあ、お若い方。何の用事でわしのところへおいでかえ」とヤガー婆さんが訊いた。

「やあ、婆さん。まずは食事と風呂だ。たっぷり食べて飲んで、風呂で旅の汚れを落としたい。あれこれ訊くのはそれからだ」

 ヤガー婆さんはイワン王子にたっぷり飲み食いさせ、蒸し風呂に入れて白樺の枝で叩いて垢を落としてやった。そこで王子は妻の賢女ワシリーサを探していることを話した。

「ああ、それなら知っているとも」と、ヤガーばあさんは言った。

「ワシリーサは今、不死身のコシチェイの家におるよ。だが取り戻すのは難しいじゃろう。何しろあの男は一筋縄ではいかん。

 コシチェイの命の根源は針の先に宿っていて、その針は卵の中に入っている。卵はと言えば鴨の中、その鴨は兎の中におって、兎は長持の中にいる。その長持は高い樫の木のてっぺんに置かれているが、その樫の木をコシチェイは自分の目玉と同じくらい大切にしているからな」

 ヤガー婆さんは樫の木の生えている場所を教えてくれた。イワン王子はその場所に辿り着いたが、どうしたら長持を手に入れられるだろうかと途方に暮れた。

 すると不意に、いつかの熊が飛び出してきて、むんずと樫の木に抱きつくと根こそぎ引き抜いた。長持は落ちてきて粉々に砕けた。長持の中から兎が飛び出して一目散に逃げ出した。するといつかのすがめの兎が追っていって、捕まえてずたずたに引き裂いた。その中から鴨が飛び出して空高く舞い上がった。その後ろからいつかの雄鴨が襲い掛かって一撃すると、すぐに鴨は卵を落とした。

 なのに、卵は海の中に沈んでしまった。イワン王子がこの不運を嘆いていると、海の中から梭子魚カマスが現れて岸辺に泳いできた。いつかの梭子魚だ。それが口にくわえていた卵を掴み上げて割ると、イワン王子は中に入っていた針をポキリと折った。

 その瞬間、不死身のコシチェイはもがき苦しんで死んだ。

 イワン王子はコシチェイの家に入ると、賢女ワシリーサを連れ出して一緒に家に帰った。それからというもの、二人はいつまでも一緒に幸せに暮らした。



参考文献
『ロシア民話集〈上、下〉』 アファナーシェフ著、中村喜和編訳 岩波文庫 1987.
『ロシアの昔話』 内田莉莎子編訳 福音館文庫 2002.
『決定版世界の民話事典』 日本民話の会編 講談社+α文庫 2002.
『世界昔話ハンドブック』 稲田浩二 他編 三省堂 2004.

※ロシアの民話として有名な話。絶世の美男子な主人公なのに、何だか運が悪くてぽややんでパッとしないイワン王子。後半の活躍もイマイチ省略されていてパッとしない。ロシアではアニメ映画化もされているそうだが、そこではコシチェイと王子が死闘を繰り広げる派手なアレンジがされているそうだ。むべなるかな。

 

 ここでは、異形の妻の正体は「呪われた人間」だとされている。それにしては彼女は様々な魔法を使っているし、そもそも父とても「人間を蛙に変える呪い」を使っているのだから、やはり異界から渡って来た神女的存在と見るべきだろう。彼女が城に現れるとき、轟音が鳴り響いて辺りが振動したことを見逃すわけにはいかない。世界各地の多くの伝承で、冥界から魂が逃げ出す(現れる)とき、大地が鳴動したり琴の音が鳴り響いたりすることになっている。

 ワシリーサは賢さを父王に憎まれて呪われ、蛙の姿に変えられたという。ケルトの英雄オシアンが女神ニァヴと結婚する伝承には、オシアンの前に現れたとき、ニァヴが醜い豚の顔をしていたと語るものがある。娘婿に玉座を奪われると予言を受けた父王が呪ってそうしたのだと。ニァヴのこの物語は病で醜い顔になった長者の娘が運命の結婚相手の元へ嫁いで美しく再生する【炭焼長者】系の話にも似ているのだが、この系統の話群には、娘に諌められたことに腹を立てた父が、娘を強引に貧しい男へ嫁がせる発端のものもある。(「生まれつきの運」/『中国民話集』 飯倉照平編訳 岩波文庫 1993.) [火焚き娘]は父の道ならぬ求愛から逃げて、醜い皮を被って王子の前に現れたものだが、「蛙の王女」をワシリーサの視点で語り直せば、シンデレラ系の物語として読めてしまうかもしれない。 --> 参考「金の髪と小さな蛙

 王子がババ・ヤガーの家に入って、話すより先に食事と風呂を要求するのは、一見して傲慢であるように感じられるかもしれないが、ここにも神秘的な意味が隠されていると思われる。足が生えて動いている小屋は冥界の入り口であり、そこに住む山姥は、いわば冥界の渡し守だ。三途の川を渡るには六道銭が要るように、冥王ハデスの城に入るには怪物ケルベロスに甘い菓子を与えて宥めなければならないように、死霊への饗応が必要だ。ただ、ここでは反転して人間の方がそれを求めるが。

 類話によっては、小屋に入ってきた王子を見てババ・ヤガーは鼻をくんくんさせ、「ロシア人が自分から飛び込んできたわい」と食い殺そうとする。しかし王子が恐れずに食事を要求すると、彼女は王子を襲おうとしなくなる。

「同じ釜の飯を食う」ことには「身内になる」という意味がある。王子は恐ろしい山姥にもてなしを要求したことで彼女の身内となり、よって援助を取り付けることさえできたのである。また、豪胆さを示すという意味もあるだろう。

 なお、類話によってはババ・ヤガーは蛙の王女の母である。血縁云々と言うよりは、ババ・ヤガーが冥界の太母神(三相の女神の「老婆の相」)であり、蛙の王女は冥界の小女神(三相の女神の「娘の相」)であるということだろう。これは、サンドリヨン(シンデレラ)を助ける妖精(魔法使いのお婆さん)が、サンドリヨンの名付け親で、まさに「母代わり」である点とも重なっているだろう。

 

 ここに挙げた例では後半は「魔物に奪われた妻を救う」展開になっているが、必ずそうなるわけではない。類話によっては、王子がババ・ヤガーに蛙姫の話をすると「来るのが遅すぎたね」と言われる。彼女は既にイワンのことを忘れているし、ここにも長い間来ていないと言うのだ。

 ババ・ヤガーに勧められ、王子はその姉のババ・ヤガーの家に行く。するとこのババ・ヤガーも言う。「来るのが遅すぎたね。あの子はもう、別の男と結婚することが決まっているよ」。しかしこのババ・ヤガーも更に姉のババ・ヤガーの家に行くよう勧め、蛙姫はその家の長持の中の紡錘に変身しているから、それを折れと助言してくれる。王子がそうすると蛙姫は娘の姿に戻り、イワンのことも思い出す。そして二人は幸せな気分で家に帰った、と。

 また別の類話では、王子はババ・ヤガーの助言に従って、獣たちに助けられながら「海の向こうの石の中の鴨の腹の中の卵」を入手する。ババ・ヤガーがその卵を使って焼いたパンを蛙姫に食べさせると、彼女はイワンへの愛を思い出す。

竹取物語」において、かぐや姫は羽衣を着せられて昇天すると現世での両親への愛情を忘れてしまう。死者は、生きている時の「心」を持てないのである。前述の類話で、冥界の入り口にいるババ・ヤガーが「遅すぎた、もう随分長いことあの子はここには来ない」と言うのは、蛙姫が既に現世から遠ざかって久しいという意味であろう。 --> 参考<眠り姫のあれこれ〜死と眠りと忘却

 死者を取り戻すため、王子は姫の心――魂、すなわち「生命」を取り戻さねばならない。「再生」を象徴する卵の中にそれは隠されている。あるいは、紡錘を折る――冥界に転生した姫をもう一度殺すことで、彼女は再生し、再び生者となる。ロシアには娘が嫁入りする際、紡錘を折る慣習があったそうだ。日本にも、嫁入りする花嫁に火の上を越えさせる地域があった。結婚するということは、それまでの自分を殺して生まれ変わることだと考えられていたようである。

 このイメージは「天の庭」に現れているものが分かり易い。自殺した妻を甦らせるため天界に旅立った男は、袋の中に閉じ込められた一匹のハエを手に入れる。実はこれが妻の魂であり、ハエが飛び去った後で家に帰ると、保存しておいた妻の遺体が息を吹き返している。

 

 それはともかく、食事していて袖の中にグラスの中身やら白鳥の肉の食べかけやらを入れるワシリーサはちっとも麗しくないと思う。タッパーにしまうならともかく。真似する兄嫁たちもどうかしているよね。

 

 以下、例話を紹介する。

王子と大亀の物語  アラビア 『千夜一夜物語』

 語り伝えられているところによれば、彼方昔、一人の権勢ある帝王スルターンがおり、神に三人の息子を授けられていた。三人の息子はいずれも不屈の猛者であって、長男はシャテル・アリー、次男はシャテル・フサイン、末弟はシャテル・ムハンマドと言った。中でも末弟が抜きん出て美しく、剛勇で、寛大であった。父君は三人息子を全く等しい愛情で愛し、自分の死後には三人それぞれに等分に財産を分与しようと考えていた。

 三人息子が嫁取りをする年頃になると、王は清廉で慎重な性格の大臣ワジールを呼んで、どのように嫁を選ばせるべきかと相談した。

「おお、当代の王よ。これはいかにも繊細な問題でございます!」と言って、大臣は少し考えを巡らせてから続けた。

「運も不運も不可見のうちにあって、何人も運命の命じるところに従わぬわけにはまいりますまい。そういうわけでございますから、王子様御三方におかれましては、各々のお妃の選択をご自分の運命にお任せになるべきだと存じます。
 そのためには、まず弓と矢を構えて御殿の露台にお上がりになることです。そこで御三方に目隠しをされて、身体を何度もぐるぐると回させます。その上で、丁度お停まりになった方角へ矢を放ちます。そして、その矢が落ちた家々を我々が訪ねます。しかる後に我らが主君・帝王は、その家長たちを一人一人お呼び出しになって、その娘を矢の持ち主の王子様のお妃に御所望なさるのです。その乙女こそ、かくなるべく宿命が記されている者なのでしょうから」

 大臣を信頼する王は納得し、三人の王子を呼び寄せると大臣の提案を伝え、それから、大臣をはじめとする全ての廷臣を従えて、王子たちと共に御殿の露台に上がった。

 最初に長男が目隠しされ、ぐるぐる回されてから矢を放った。それはある大貴族の屋敷の上に飛び、そこに落ちた。次男の矢は王国の軍隊の大将の露台の上に落ちた。最後に三男、シャテル・ムハンマドが矢を放つと、誰のものとも知れぬ家の上に飛んで、そこに落ちた。

 そこで人々はそれら三軒の家を訪ねた。幸い、大貴族の娘と軍の大将の娘は、二人とも月のような乙女であることが分かった。ところがシャテル・ムハンマドの矢の落ちた第三の家を訪ねてみると、そこには貯水甕ほどに大きな、一匹の亀が棲みついているだけだったのだ。

 これを見て王や大臣たちは驚いたが、まさか亀を王子の妃にするなど思いもしなかったから、もう一度やり直させることにした。若い王子は再び露台に上がって、人々の見守る中から矢を放ったが、矢はまたも大亀の棲む家の上に飛んで落ちた。これを見て王はすっかり機嫌を損ねた。もう一度やり直しが行われたが、それでも矢は大亀の家に飛んでいくのだった。これを見て強固な運命の恐ろしさを感じた王は言った。

「おお我が子よ。この亀は我らの民族、我らの宗教どころか、種族すらも同じではないのだ。お前はいっそ、アッラーが我々に恩寵をお返しくださるまで、全く結婚しないでいる方がよかろう」

 けれど末王子はこう返した。
「預言者のご功績にかけて! 私の独身時代は過ぎました。そして、この大亀が私の運命に記された相手なら、私はこれと結婚することに同意します」

 王はひどく驚いて「一体いつから、アダムの子らが亀を妻にすることになったのか」と言ったが、末王子は「私が妻にしたいのはまさにこの亀で、他の女ではございません!」とまで言うのだった。王は息子を愛していたので無下に反対を続けることはせず、この奇怪な結婚に同意を与えた。

 王子たちの四十日と四十夜に及ぶ婚礼の祝典が盛大に催され、上の二人の王子までは無事に床入りを済ませた。けれど末王子と大亀の婚礼の番になると、二人の兄もその妻たちも、親族の貴婦人たち、貴族高官の妻女たち全員に至るまで、あらゆる手を尽くして出席を拒んだ。末王子は内心に屈辱を感じたものだし、人々のまなざしや含み笑い、そむけた背によっても傷つけられ、侮辱を感じたものだった。

 人々の方はと言えば、末王子が婚礼の夜が過ぎても平気で大亀と暮らし続ける様子に驚きを隠せなかった。どうしてアダムの子が亀と夫婦としての生活を続けていけるのだろうかと。けれど部屋の奥のことは窺い知れることではなく、誰にも分かることではなかった。

 

 ところで、王は長年の労苦から年老いて体が弱り、食も細く、目もほとんど見えなくなってしまった。三人の王子は、王が息子たちを愛するのと同じように父を愛していたので、このまま蒙昧な後宮ハリームの女たちに父の世話を任せてはおけないと考えて相談し、揃って父の前に行くと手に接吻してから切り出した。

「おお、我らの父上よ。今や父上のお顔色は黄色くなり、食欲は減退し、視力も衰えておいでです。もしこのような状態が続きますれば、我らは父上の内にある我らへの支えと導きを失った嘆きに衣服を引き裂くよりなくなるでしょう! さればこそ我らの願いをお聞き入れくださらなければなりませぬ。今後は父上のお食事の用意は後宮の女たちではなく、我らの妻にお任せください。と言うのは、我らの妻はたいそう料理に堪能ですから、まずは父上の食欲を回復し、食欲によって体力を、体力によって健康を、そして健康によって眼の快癒をもたらしてくれるのです」

 王は息子たちのこの気遣いにたいそう感激しながら言った。
「願わくばアッラーがお前たちにご恩寵を浴びせたまわんことを! おお、お前たち父の子らよ! しかしそれはお前たちの妻女にとって、迷惑になりはしないだろうか……」

「迷惑ですって! 我らの妻は父上の奴隷ではございませんか。それに父上のご回復のための料理を作る以上に緊急の仕事などございません。
 おお、父上よ。我らは父上のために最良となることを考えたのです。我らの妻がめいめい、自分で調理した料理を一皿ずつ差し上げれば、父上は一番お気に召したものをお選びになれる。こうすればご健康も回復なさり、お眼も治ることでしょう」

 これを聞くと王は「わしにとって何が良いのかを、わし自身よりお前たちが知っているようじゃ!」と言って、息子たち一人一人に接吻をした。

 こうして王子たちはそれぞれの家に帰り、父王に選ばれるような最上の料理を作るよう妻に命じることになったが、末の王子の大亀が一体どんな料理を作るというのか。兄たちは皮肉たっぷりに尋ねて弟をからかったものだが、彼はただ静かな微笑で答えるだけだった。

 

 独り住まいの大亀、シャテル・ムハンマドの妻は、実は自分の腕前を試せるこんな機会を待っていたのである。

 彼女はまず、腹心の侍女を長男の妻の所へ遣わし、我が主人である末王子の妻の亀が、お宅のネズミの糞を全部集めさせていただきたいと申している、というのも我が主人は米や挽肉やその他の料理にそれで味付けをなさるので、大至急必要なのですと言わせた。それを聞くとシャテル・アリーの妻はこう思った。

(お断りだわ、アッラーにかけて! あの惨めたらしい亀の欲しがるものなんて何一つ譲ってやるもんですか。それにしてもそんなものが味の秘訣だなんて。私なら、亀よりもっと上手にそれを使いこなせるわ)

 そこで長男の妻は侍女に答えた。
「お気の毒ですがお断りします。なにしろ、ネズミの糞が家で使うにも足りないくらいなんですからね、アッラーにかけて!」

 帰ってきた侍女からその報告を受けると、亀は笑いだして嬉しさに身を震わせた。そして今度は、腹心の侍女を次男の妻のもとに遣わして、お手元にある雌鶏と鳩の糞を全てちょうだいしたい、ご主人の亀が、帝王スルターンのための料理にそれを振りかけるのに至急入り用なものですから、と言うように言付けた。シャテル・フサインの妻も亀に何一つだってやるものかと思い、そんなにいいものなら自分が使ってやろうと考えた。帰ってきた侍女から次男の妻の無愛想な返答を聞いた亀は、ひどく笑いだして後ろにひっくり返ったほどだった。

 それから亀は自分の知識に従って料理をこしらえ、それを盆の上に並べて、柳の蓋を盆にかぶせ、全部を薔薇の香りをつけた亜麻の風呂敷で包んだ。そして忠実な侍女に帝王のもとに運ばせたが、二人の兄の妻たちもめいめい自分のお盆を奴隷に運ばせた。

 いよいよ食事の時刻になって、王は三つの盆の前に腰をおろした。ところが第一の妻の盆の蓋を取るや、象をも窒息させかねない悪臭が立ち上り、王はそれに当てられて目を回し、気を失って倒れてしまった。王子たちが駆けつけて薔薇水を振りかけ、窓を開けて風に当ててようやく正気づいたものの、王は長男の嫁に対する怒りを爆発させ、呪いの言葉を吐かずにはいられなかった。

 しばらく経ってから一同でどうにか気を鎮めさせ、言葉を尽くして勧めたので、王も二番目の盆を味わおうと決心した。ところがその蓋を取ると、まるで町中の家禽の糞をその場で焼いたような悪臭が部屋中を満たし、哀れな王の喉、鼻、病んだ眼の中に沁み入って、王はもう目が潰れて死ぬだろうとさえ思った。一同は慌てて窓を開け、諸悪の根源たる盆を片付けてから、悪臭を払うために香を焚いた。

 王はやっと口がきけるようになると、「一体わしがお前たちの妻にどんな悪いことをしたと言うのか!」と怒鳴った。二人の王子、料理をこしらえた夫人の夫たちは、まことにこれは解しかねる事態ですと答えるばかりだった。

 そうこうするうちに末王子が進み出て、父の手に接吻して宥め、三番目の盆を味わうように勧めた。王はこれを聞くと怒りと憤りの極みに達して叫んだ。

「何を言っているのか、シャテル・ムハンマド! お前は年老いた父をからかう気か? このわしに、今度は亀の作った料理に手を付けよと言うのか? 人間の女どもの指の作った料理さえ、あのようにおぞましいものであるのに。そうか、よーく分かったぞ。お前たち三人が一緒になって、わしの肝を破裂させ、《死》に一呑みにさせようと約束したということがな!」

 けれども若い王子は父の足元にひれ伏して、三番目の盆はきっと父上のお悩みを忘れさせるに違いないものです、もしそれが父上のお好みに合わなかったなら、全部の料理を私が呑み込むことをお約束いたしますと誓った。あまりに熱心に頼むので王もついに折れて、「保護者アッラーのうちに我は逃れ奉る!」というまじないを唱えながら、奴隷の一人に最後の盆の蓋を取るように命じた。

 ところが、取り除かれた蓋の下から立ち上ったのは、様々な料理のえも言われぬ香りが混然一体となった香気で、いかにも快く胸に沁み入り、その瞬間、王の心臓の団扇がたちまち膨らみ、肺の団扇が広がり、鼻孔の団扇が震え、もう長いこと失っていた食欲が戻ってきて、両目は開き、物がはっきり見えるようになった。顔は薔薇色になり、顔つきは生き生きとしてきた。そしてひと時の間、休みなく料理を味わった。最後には麝香と雪片を入れた結構なシャーベットを飲んで、美味しくて、満足した胃袋の底から上がってくる《げっぷ》を何度も出した。満悦と満足の極みに達して、王は末の息子を祝福して言った。

アッラーに栄光あれ、結構であった!アル・ハムドゥ・リッラーヒ

 シャテル・ムハンマドは兄たちを妬ませては良くないと考えて、慎み深くお褒めの言葉を受けてから言った。

「おお、父上。これは私の妻の才能のほんの一部に過ぎません! アッラーの思し召しあれば、いつかもっとお褒めにあずかれる日が来ることでございましょう!」

 そして、これからは自分の妻だけを父王のために料理を作る担当にしてほしいと頼んだ。王は喜んで承知し、この食事療法で王は快復して、眼も見えるようになったのだった。

 

 王の快気祝いの宴が宮中で開かれることになり、三人の王子は妻と共に招待された。二人の兄の妻たちは、自分の美しさを知らしめることで夫に面目を施させ、父君の前で夫の顔を白く輝かせてやろうと考え、全力で王の面前に出る支度を行った。

 亀も同じように思って準備し、着飾り終えると、例によって腹心の侍女を一番上の義姉の所に遣って、お宅の飼っている一番大きな鵞鳥を貸していただきたい、ご主人の亀が、その立派な乗り物で参内したいと申しておりますので、と頼ませた。義姉は、貸してはやれない、この鵞鳥は私が乗るために飼っているのですからと返事し、それを聞いた亀はひどく笑って後ろにひっくり返った。

 次に二番目の義姉の所にも侍女を遣り、お宅の大きな牡山羊を一日だけ貸していただきたい、それに乗って参内したいと主人の亀が申しておりますのでと伝えさせると、二番目の義姉は、貸してやれない、この牡山羊には私が乗るのですからと返答した。亀はそれを聞いて身を震わせ、笑いと喜びの極みに達した。

 さて、いよいよ祝宴の時間になると、三人の王子妃を迎えるために、王妃付きの婦人たちが後宮の門の前に整列した。すると遠くに砂煙が巻き起こり、どんどん近づいてくるのが見えた。その砂煙の真ん中に一羽の途方もなく大きな鵞鳥が現れ、脚を死に物狂いに動かし、首を伸ばし、両の翼をバタバタさせながら地面すれすれにまっしぐらに駆けてきた。そしてその上には、鵞鳥の背に不格好にしがみついて顔を恐怖にひきつらせた、一番上の王子妃が乗っているのが見えた。そのすぐ後に続いて、鳴きながら跳ね駆ける薄汚い牡山羊にまたがって、二番目の王子妃が現れた。

 これらを見ると、帝王スルターンと王妃はすっかり機嫌を悪くして、恥ずかしさと怒りのあまり顔色を黒くした。王は二人の王子妃を叱りつけて言った。

「お前たちは、窒息と中毒でわしの死を望んだだけでは飽き足らず、今やわしを人民のもの笑いとし、我ら一族の名誉を危うくし、公衆の面前で辱めようという気か!」

 そして王妃も、同じように怒りの言葉と憎悪の目で二人を迎えた。そのとき、三番目の王子妃が近づいてきているという先触れが来なかったらどうなっていたことか。そして王と王妃の心は更なる不安でいっぱいになった。同じ人間の二人の王子妃でさえああだったのだ。亀の一行とは一体どんなものだろうか。二人はアッラーの名を念じながら来るべき災厄を待ち受けた。

 最初に現れたのは先供の第一陣で、シャテル・ムハンマド王子妃の到着を報せた。そして間もなく、錦をはおり長袖の見事な胴着を着た四人の美々しい馬丁が、手に長い杖を持って「お控えあれ、王女のお出でであるぞ!」と呼ばわりながら進んできた。その後に美しい色とりどりの貴重な布に包まれた輿が、四人の黒人の肩に担がれて現れ、入口の階段の下まで来て停まった。そして中から、光輝と優美をまとった一人の姫君が出てきたが、彼女が何者か誰にも分からなかった。それで人々は、これは女官だろうと思った。亀が降りてくるものと思っていたからだ。ところが姫君が一人で階段を上って、輿は遠ざかっていくのを見ると、彼女こそシャテル・ムハンマドの妻と認めないわけにはいかず、その位に対して相応しい全ての栄誉を尽くし、望ましい全ての慇懃さを尽くして、これを迎えないわけにはいかなかった。

 王は、末息子の妻の美しさ、優雅さ、如才のなさ、立派な拳指など、全身から立ち上る全ての魅力を見て、晴れ晴れとして満足した。

 いよいよ祝宴が始まり、王は王子たちと王子の妻たちに、自分と王妃の周囲の席につくよう勧めた。そして食事が始まった。

 さて、供された第一の料理は、慣習どおり、ふっくらしたバターライスが盛られた大皿だったが、まだ誰もそれを取る暇がないうちに美しい姫君が皿を持ち上げて、バターライスをそっくり自分の頭の上に浴びせた。途端に、全ての飯粒は真珠玉に変わって姫君の美しい髪を伝って流れ落ち、身の周りに飛び散って、たえなる音を立てて床に落ちたのだった。

 そして、人々がこの素晴らしい不思議の前で驚きから覚めないうちに、姫君は今度は緑色の濃い青豆ムルーヒーヤーのポタージュの入っている大きなスープ鉢を取り上げて、そのまま中身を自分の頭の上に注いだ。すると緑色のポタージュはすぐに、この上なく上等の無数のエメラルドに変わって、髪と衣服を伝って流れ落ち、身の周りに飛び散って、真珠と色彩を混じり合わせながら床に散らばった。

 重なる不思議の光景は、王はじめ会食者一同を、この上なく驚嘆させた。給仕女たちは急いで、別のライスと青豆のポタージュの皿を運んできた。嫉妬に青ざめ、血の気が失せて黄色くなった二人の義姉は、義妹の成功でこんなにも影を薄くしたまま黙っている気になれず、上の義姉はライスの皿を、次の義姉はポタージュの鉢を取り上げて、めいめい自分の頭の上に注いだ。けれどもライスはライスのまま、ポタージュはポタージュのままで、頭から料理をかぶった二人は、ねばついてとてもみっともない姿になった。

 これを見ると王は激怒して、「席から立って部屋を出て我が目の前から去れ!」と怒鳴りつけた。そして「今後は目通り叶わぬ。その臭いさえかぎたくない」と言ったので、二人はすぐに席を立って、面目をすっかり失い、夫と共に御前から引き下がったのだった。

 王は残った姫君とその夫シャテル・ムハンマドに接吻をし、真心をこめて抱きしめて、「お前たちだけが我が子じゃ!」と言った。そしてその場で、玉座を末王子に譲りたいと思い、貴族アミール大臣ワジールを召集させて、彼らの前で相続の書類を書き記した。そして末王子夫婦に言った。

「今後お前たちには、わしと一緒にこの王宮に住んでもらいたい。お前たちがいなくては、わしはきっと死んでしまうからな」

 すると二人は答えた。
「仰せに従います! 父上のお望みは私どもの頭とまなこの上にございます!」

 そこで素晴らしい姫君は、亀の姿では年取った王に不快な衝撃を与えかねないと考えて、もうそんな姿を装う気に誘われないために、自宅に置いてきた甲羅を侍女に持って来させ、燃やし尽くしてしまった。それからは彼女はずっと姫君の姿で過ごした。

 そして褒賞を与える神は二人に沢山の子供を授け、夫婦は満足して栄え暮らしたのである。


参考文献
『完訳 千一夜物語12』 豊島与志雄/渡辺一夫/佐藤正彰/岡部正孝訳 岩波文庫 1988.

※亀が夜になると甲羅を脱いで娘になるくだりがぼかされているので、ちょっとスッキリしなくなっている。

 それにしても亀姫は恐ろしい女である。婚礼に出席してもらえなかったのをよほど恨みに思っていたのかもしれないが、まんまと二人の義姉を陥れ、ついには等分に息子たちを愛していた王が、末王子だけを愛して王位を譲ってしまうように仕向けた。確かに頼りになる最上の妻だろうが、恐ろしい。恐ろしいよ。

 

 亀姫が料理を頭からかぶると宝石になって散らばるくだりは、蛙姫が食べかすを袖やドレスの襞に入れると白鳥や湖に変わるエピソードに対応している。

 それにしてもどうして頭からかぶるのか。何故料理が宝に変わるのか。……もしかしたらこれは、山姥牝牛が糸や亜麻を食べて肛門から錦の布や糸を排出するモチーフと関連するのかもしれない。日本には山姥の頭のてっぺんにもう一つ口があるという民話があるが、亀姫が頭から料理をかぶるのは、ひょっとして「頭の口からがつがつとものを食べ、それを宝にして排出した」というモチーフの名残なのではないだろうか。


参考 --> オセット人の伝承

亀女房・バッドエンド  アルバニア

 昔、三人兄弟がいて、三人とも独身だった。ある晩のこと、とても年取った人が兄弟の家の戸を叩いた。兄弟はこの爺さんを温かく迎えて楽しく話したが、そのうちに嫁さんを探しているが見つからないという話になった。すると爺さんが言った。

「矢を三本と弓を取って、空にその矢を放つがいい。矢の落ちたところに、お前たちの運が見つかる」

 あくる朝になると、兄弟は早速めいめいが矢を取って射た。一番上の兄さんの矢は大旦那の屋敷の中に落ちた。そこで一番上の兄さんは出かけていって、大旦那の娘を欲しがったところ、大旦那がくれた。二番目の兄さんの矢は地主の屋敷の中に落ちた。二番目の兄さんが地主の娘を欲しがったら、この人もくれた。末の弟の矢は泥の中に落ちた。弟が泥の所に行くと亀がいたので、これを嫁さんにした。

 末の弟は花嫁の部屋に入って亀を見ると、自分のひどい運を悲しんだ。ところが亀は甲羅を脱いで美しい娘になったではないか。弟は喜び、また不思議に思うと、亀が言った。

「私は実は人間の娘なのですが、呪われていて、僅かに夜の間だけ戻って来られるのです。そして娘の姿を取り戻して甲羅を脱ぐことが出来るのです。昼になるとまた甲羅に潜ります。誰かに甲羅を焼かれたら、私は死ぬでしょう」

 

 そんなある日、三人兄弟のおかみさんが他所にばれた。末のおかみさんは亀のまんまで行こうとしたが、亭主は「俺の顔を立てて、人間の女になって行ってくれ」と頼み込んだ。根負けして、おかみさんは甲羅を脱いで出かけていった。

 留守番をしていた亭主は、「あの甲羅を焼いてしまったら、もしかしたら死なないで、いついつまでも女でいられるのかもしれない」と思って、甲羅を焼いてしまった。

 甲羅が焼けると、食事をしていたおかみさんにはその匂いが分かった。すぐにテーブルから立って、泣きながら家に帰ってきた。甲羅はやはり焼けていた。幾らもしないうちに、このおかみさんは死んだ。


参考文献
『世界の民話 アルバニア・クロアチア』 小沢俊夫/飯豊道男編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※後半の冥界めぐりがない、バッドエンドバージョン。

「甲羅を焼いたら死ぬ」とはっきり言われているのに、夫はそれを焼いてしまう。人間の心の弱さと身勝手さを感じさせられるが、異類婚姻譚の中には皮を焼くことで本当に異類を人間にしてしまえるものもあるのだから油断できない。

 本来の形は「祖霊〜獣の姿で現れる神」との神婚譚だったのだろうが、既に意味は忘れ去られ、獣は「呪いで姿を変えられた人間」に過ぎないのだと解釈されている。


参考--> 「ひきがえる息子」 オセット人の伝承

亀女房・ハッピーエンド  ブルガリア

 老いた父親が三人の息子のために家を三軒建て、リンゴの木のある庭に連れて行って言った。

「お前たちはそろそろ嫁を見つける年頃になった。このリンゴを望むところに力いっぱい投げ、実の落ちた場所にいる娘と結婚するがよい」

 上の兄は太陽の昇る方に投げて、村一番の金持ちの坊さんの家に当たり、スモモの木の下で刺繍していた娘の足元に落ちた。中の兄は太陽の沈む方に投げ、村長の家の庭先に落ちて、中から出てきた娘が拾った。最もたくましい末の弟がは投げる場所がなくなって森に投げた。リンゴは森の奥の樫の古木の根元に落ち、そこにいた亀が前足でリンゴを引き寄せた。

 若者は亀を見るとがっかりしたが、運命を受け入れて亀とリンゴを袋に入れて戻って来た。それぞれ気に入った花嫁を見つけた兄たちは弟を馬鹿にして嘲笑った。

 若者は亀とリンゴを台所に置き、その上に桶を伏せて仕事に出かけた。ところが、帰ると家が掃除されていて美味しい食事が作ってある。扉に鍵は掛かっていたし、亀も何事もなかった。翌日も同じことが起こった。

 三日目、若者は出かけたふりをして窓から家の様子を見張っていた。すると亀が桶の下からはい出し、例のリンゴをかじると甲羅が脱げて美しい娘になって、家事を始めたではないか。若者は喜び、妻がまた亀に戻らないように急いで甲羅を投げ捨てた。するとたちまちそれを鷹が掠め去った。妻はそれを見て、甲羅がないときっと災いが起こるでしょうと悲しんだ。

 美しい嫁の話が、老いたこの国の王の耳にも届いた。やって来た王は亀娘を一目見て気に入り、強引に連れ去ろうとした。しかし若者はどんなに殴られても抵抗した。業を煮やした王は「九袋ぶんの麦と米と黍を一晩で選り分ける」という難題を出し、出来なければ妻を差し出せと言った。そんなこと出来るはずがないと若者が悔し泣きをしていると、妻が言った。

「さあ、森の木々を越え、何百年も前から森を守っている、あの樫の古木のところに急ぎなさい。そこで小石を拾って幹を三度叩き、こう唱えるのです。
 古い森よ、私の森よ
 黒い森の仲間を九百万
 大急ぎで頼む!

 そして、後ろを振り向かずに走って戻っておいでなさい」

 若者がその通りにすると、背後から九百万の蟻の大群が付いてきて、穀物の山を選り分けてしまった。

 王は日が昇るとすぐにやって来たが、穀物は三つの袋に分けられている。悔しがって再び難題を与えた。「明日の朝、鉄の大男をここに連れてきて挨拶させること」。王が立ち去ってから若者が涙を流すと、妻はまた慰めて指示した。あの樫の古木のところへ行って小石で幹を三度叩き、「古い森よ、私の森よ 黒い森の鉄の大男を 大急ぎで頼む!」と唱えて後ろを見ずに駆け戻るようにと。すると若者の背後から何かが木々を震わせて付いてきた。

 待っていた王のところへ行き、挨拶をするように命じると、鉄の大男は王に近付いて右手を振り上げ、その拳を振り下ろした。王は打ち砕かれ、地に倒れて起き上がれなくなった。家来たちは恐れててんでに逃げ去った。鉄の大男は森の奥へ去り、それきり姿を消した。

 それから、若者と亀娘はいつまでも、いつまでも幸せに暮らした。


参考文献
『吸血鬼の花よめ』 八百板洋子編訳 福音館文庫 2005.

※後半が[竜宮女房]や【絵姿女房】のような展開になっている。樫の木への呪術や鉄の大男が面白い。「鉄のハンス」との関連も思わせる。

 後ろを振り向いてはいけないのは、オルペウスが妻を冥界から連れ出すときに後ろを向いてはいけなかったことと同じなのだろう。「隅の母さんの娘に結婚を申し込みたかった若者」でもそうなっているが、冥界から抜け出す際には後ろを振り向いてはいけないものらしい。

蛙の皮  グルジア

 昔、結婚したがっている三人の兄弟がいた。彼らは言った。
「俺たちは矢を射よう。そして矢が落ちたところで妻を見つけよう」

 彼らは矢を放った。二人の兄たちの矢は貴族の家に落ちた。末の弟の矢は池に落ちた。二人の兄たちは高貴な妻を家に連れてきて、末の弟は池のほとりに行った。彼は蛙が池から這い上がって来て石の上に座るのを見た。彼はそれを拾い上げ、家に連れて帰った。全ての兄弟が運命が彼らに与えたものと共に帰って来た。兄たちは高貴な娘たちと共に、弟は蛙と共に。

 兄弟たちは仕事に行き、妻たちは夕飯の支度をして家事に専念した。蛙はゲロゲロ言いながら火の側に座って目を輝かせた。このようにして彼らは長い間、愛と調和の中で共に暮らした。

 とうとう、義理の姉たちは蛙のいる光景にうんざりしてしまった。彼女たちが家を掃いた時、蛙をゴミと共に掃き出した。もし末の弟がそれを見つけたなら、彼は手の中に拾い上げた。そうでなければ蛙は跳ねて火の側に戻ってきて、ゲロゲロ鳴き始めるのだった。高貴な義姉たちはそれが嫌で、自分たちの夫に言った。
「この蛙を追い払ってください。そしてあなたの弟に本物の奥さんをあてがってください」

 兄たちは毎日のように弟を煩わせた。彼は答えて言った。
「この蛙は間違いなく俺の運命なんだ。これぐらいが俺に相応しい。俺はこいつに誠実でなけりゃならないんだ」

 義姉たちは、弟と彼の蛙を追い出すべきだと夫に言い張った。そしてついに彼らは同意した。

 

 家を出された弟はまったく孤独になった。彼の食事を作る者は誰もおらず、玄関に立って迎えてくれる者もいない。僅かな期間、近所の女性が面倒を見てくれたが、彼女は多忙だったのでそのうち放っておかれた。男はとても憂鬱になった。

 彼は自分の孤独について悲しく考えながら仕事に行った。その日の仕事を終えて家に帰った時、彼は家の中を見て驚きに打たれた。テーブルの上には一枚の布が広げられ、その上は沢山の色んな種類の美味しそうな料理で満たされていた。彼は見回して、蛙がいつもの場所でゲロゲロ言っているのを見た。義姉さんたちが来て用意してくれたに違いないと彼は独りごちた。それからというもの、一日中外で仕事して帰って来ると、いつも彼のための支度ができていた。

 彼はひとりごちた。
「誰が姿を見せずに世話してくれるのか、やって来て俺によくしてくれるのか、一度だけ確かめよう」

 ある日、彼は家に留まって、家の屋根に座って見張っていた。少し経って、蛙が火の側から跳ね出して、部屋の周りをドアの方まで跳んだ。誰がそんなものを見たことがあるだろう。それは蛙の皮を取り去って戻ってきて、それを火の側に置いた。太陽のように美しい少女が現れていた。その愛らしさは、それ以外何も考えられなくなるほどに素敵だった。瞬きほどの間に彼女は全てを整えて食材を用意し、それを調理した。全ての支度が終わると、彼女は火の側に行って再び皮を被り、ゲロゲロ言い始めた。

 これを見て男はとても驚いた。神がこんな幸せを与えてくれたことを激しく感謝した。彼は屋根から降りて家の中に入り、優しく彼の蛙を撫でてから美味しい夕食の席についた。

 あくる日、男は前日と同じところに隠れた。蛙は誰もいないと思って皮を脱ぎ、良い仕事を始めた。今度は男は黙って家に忍び込んで、蛙の皮を掴むと火に投げ込もうとした。

 これを見て娘は泣いて頼んだ。
「それを燃やさないで。さもなければ、きっとあなたに悪いことが起きるわ」

 だが男はすぐに燃やしてしまった。

「今、あなたの幸福は不幸になったわ。私のせいじゃない」と悲しみに包まれた女性は言った。

 

 僅かな間に、蛙と暮らしていた男が天国から遣わされた愛らしい妻を得たことは、田園地方一帯に広まっていた。国の領主がこれを聞き、彼女を自分のものにしようと目論んだ。彼は美しい婦人の夫を呼び寄せて言った。
「一日で納屋いっぱいの小麦を蒔くのだ。出来なければお前の妻を貰うぞ」

 このように言われて同意するしかなく、男はどん底に落ち込んで家に帰った。

 家に入って妻にそのことを話すと、彼女は彼を非難して言った。
「皮を焼いたら良くないことが起こると言ったのに、あなたが聞かなかったのよ。でももう責めないわ。悲しまないで。朝になったら私が出て来た池のほとりに行って、呼んでちようだい。『母よ、父よ! 我は請い願う。あなたの素早い去勢牛を貸し与えたまえ』って。それを連れて来れば、牛は一日で野を耕して穀物を蒔くでしょう」

 夫は従った。彼は池のほとりへ行って大声をあげた。

「母よ、父よ! 我は請い願う。今日、あなたの素早い去勢牛を貸し与えたまえ」

 池から海でも陸でも見たことのないような雄牛の群れが出てきた。若者は牛を追って領主の畑へ行き、一日で耕して植えつけた。

 領主はとても驚いた。彼は自分が妻を奪おうとしているこの男の得体のしれない力が何なのか分からなかった。彼は二度目に若者を呼んで言った。
「お前の植えた小麦を収穫するのだ。納屋いっぱいにならなかったら、お前の妻は私のものだぞ」

(そんなの不可能だ)と若者は独りごちた。彼が妻のいる家に行くと再び彼女は非難し、それから言った。
「池のほとりへ行ってカラスを要求するのよ」

 夫は池のほとりに行って大声をあげた。

「母よ、父よ! 我は請い願う。今日、あなたのカラスを貸し与えたまえ」

 池からカラスの群れが出てきた。それは耕地へ飛んで、穀物の種を集めると納屋に集めた。

 領主は来て、大声で言った。
「一粒足りないぞ。私はそれを知っているからな」

 その瞬間、カラスの鳴き声が響き、足りない種を持ってきた。足が痛んだために少し遅れたのだ。

 領主は不可能を可能にするこの男にとても腹を立て、彼にどんな難題を与えるか思いつかなかった。以下の計画を考えつくまで悩み抜いた。

 彼は若者を呼ぶと言った。
「私の母はこの村で死に、指輪を持って行った。お前が冥界へ行ってその指輪を私の手に戻すならいいが、できなければお前の妻を連れて行くからな」

 若者は独りごちた。(そんなの絶対不可能だ)

 彼は家に帰って妻に愚痴をこぼした。妻は彼を非難して、それから言った。
「池のほとりに行って、雄羊を要求して」

 夫は池に行って大声をあげた。

「母よ、父よ! 我は請い願う。今日、あなたの雄羊を与えたまえ」

 ねじれた角を生やし口から火炎を吐いている雄羊が一頭、池から出てきた。それは若者に言った。
「背中に乗るがいい!」

 若者が乗ると、雄羊は閃く稲妻のように《下の世界》へ降りて行った。まるで地球を貫く一本の矢のようだった。

 彼らは旅して、ある場所で大きさが充分でない雄牛の皮の上に座っている男と女を見出した。そして彼らは皮から落ちていた。若者は呼び掛けた。
「この雄牛の皮は二人分には足りない大きさだ。この意味は何なのでしょうか?」

 彼らは言った。
「私たちは今まで沢山の者があなたのように通るのを見ましたが、誰も帰っては来ませんでした。あなたが戻ってきたら、その時質問に答えましょう」

 若者と羊は道を進んで、男と女が斧の柄の上に座っているのを見た。彼らは落ちることを恐れていないようだった。若者は彼らに呼び掛けた。
「あなたは、斧の柄から落ちるのが怖くないんですか?」

 彼らは若者に答えた。
「私たちは今まで沢山の者があなたのように通るのを見ましたが、誰も帰っては来ませんでした。あなたが戻ってきたら、その時質問に答えましょう」

 若者と羊は再び道を進んで、僧侶が牛に餌をやっている場所に来た。この僧侶は地面に広がるほどの長い髭を持っていた。そして牛は草の代わりに僧侶の髭を食べていて、彼はそれを阻止することができないのだった。若者は呼び掛けた。

「お坊様、この意味は何ですか? どうしてあなたの顎髭はこの牛たちの牧草地になっているんですか?」
 僧侶は答えた。

「私は今まで沢山の者があなたのように通るのを見ましたが、誰も帰っては来ませんでした。あなたが戻ってきたら、その時質問に答えましょう」

 若者は羊に再び座って、煮えたぎるタールしか見えない場所にまで旅をした。炎はここ――地獄からから出ていた。雄羊は言った。
「私の背にしっかり座るのだ。我々はこの炎を潜り抜けなければならない」

 若者はしっかり心がけた。雄羊は跳ね、炎を無事に通り抜けた。

 そこで彼らは憂鬱そうな女性が黄金の玉座に座っているのを見た。彼女は言った。
「それは何? 私の坊や。何がお前を煩わせているんだい? 何がお前をここに連れてきたの?」

 彼は彼女に彼に起こった全てを話した。彼女は言った。
「私は、私のとても悪い子供を罰さなければならないね。お前は彼に私からの小箱を持って行くんだよ」

 彼女は若者に小箱を与え、そして言った。
「何が起こっても、その小箱を自分で開けてはならない。それを持って行き、お前の領主に渡したら、急いで走って離れるのだよ」

 若者は小箱を受け取って立ち去った。彼は僧侶が牛に餌をやっていた場所に来た。僧侶は言った。
「私はあなたに答えると約束しましたね。私の言葉を聞いてください。生きている間、私は自分だけを愛して他の何も愛しませんでした。私の家畜は私のではない牧草地の草で生きていて、おかげで近隣の牛は餓死したのです。ですから今、私は罰金を払っています」

 それから、若者は男性と女性が斧の柄に座っていた場所に来た。彼らは言った。
「私たちはあなたに答えると約束しましたね。私たちの言葉を聞いてください。私たちは地球上で何よりもお互いを愛していました。そしてここでも同じようにこうしています」

 それから、若者は牛の皮の上に座る二人の場所に来た。その皮は二人分には足りなかった。彼らは言った。
「私たちはあなたに答えると約束しましたね。私たちの言葉を聞いてください。私たちは生きている間、お互いを軽蔑していたのです。そしてここでも同じように軽蔑しています」

 とうとう若者は地球上に戻ってきて、雄羊から降りて、領主の所へ行った。彼は小箱を渡し、急いで走って逃げた。領主は箱を開け、するとそこからは炎が噴き出して彼を呑み込んでしまった。

 

 我らの兄弟はこうして彼の敵に打ち勝ち、誰も彼から妻を奪わなかった。彼らは寄り添って愛情に満ちて暮らし、彼らを救いたもうた神を祝福した。


参考文献
Marjory Wardrop: Georgian Folk Tales. London 1894, p. 15 ff.
The Frog's Skin」/『maerchenlexikon.de』(Web)

※後半の冥界巡りが、非常に分かり易い形になっている。これも花嫁テストが存在しないので全体の構成としては[竜宮女房]に近く、 【たにし女房】をも思わせる。

 池に呼びかける際の「母よ、父よ」というのは、蛙姫の両親に呼びかけているというよりは、根源の神そのものに呼びかけているニュアンスであるように感じる。

青蛙姑娘  中国

 昔、辺鄙な村に王小という若者が住んでいた。この村には十八になると選婚する風習があり、吉日を選んで村の東の選婚場から矢を放つ。その矢の落ちた家の娘と結婚するという、絶対的な決まりだった。

 十八になった王小は媒酌人の老婆と共に選婚場へ出向いた。老婆は跪いて線香を焚き、「天神地祇、縁結びの神よ。どうか王小にご加護を」と唱えてから、立ち上がって真東に矢を射るように促した。村人たちの見守る中、王小は背負っていた赤い絹を巻きつけた矢を放った。

 ところが、ドキドキしながら矢を探しに行ってみると、大きな川の蓮の花に矢は刺さっており、花の上には青蛙が座っていて、王小が近付いても逃げずに「グワグワグワ」と三回鳴いた。王小はこれこそが我が妻になる運命の者だと悟り、優しく懐に包んで「苛めないから安心おし。共白髪の夫婦になろう」と言うと、蛙は満足げに頷く様子である。家に連れ帰ると結婚式を挙げた。

 

 さて、王小は十五畝の粟の畑を持っている。まだ暗いうちに起きて畑仕事に励んだおかげで、秋にはどこの家よりも沢山の粟ができた。そこで刈り取りを始めたのだが、西の刈り入れを済ませると、もう東の分は済んでいる。一体誰が手伝ってくれたのだろうと不思議に思った。

 その翌日、王小はいつものように作業していて、喉が渇いたので途中で家に帰った。すると青蛙がいない。代わりに、床の上に青蛙の皮が置いてある。

 王小が急いで畑に戻ってみると、一人の美しい娘が粟を刈り取っている。あれは私の妻の青蛙だ。たちまちそう悟って王小は歓喜した。青蛙は王小が出かけると皮を脱いで体を揺すって、美しい女に変身していたのだ。

 王小は家に戻ると青蛙の皮を焼いてしまった。そして畑に行くと、青蛙娘は逃げ隠れようとしたけれども、間に合わずに夫に抱きしめられた。

「お前、戻らないでおくれ。もう青蛙の皮は燃やしてしまったよ」
「王小、あなたは天下で一番好い人です。私は永遠にあなたから離れません」

 王小の腕の中で顔を赤くして、青蛙娘は答えた。

 

 それからというもの夫婦はよく働いて、僅かな間に豊かになり、夫婦を褒めない村人はいなかった。

 ところが、いつの世にも幸せを壊す者がいる。村の北にある風火山の上に風化洞と呼ばれる洞穴があり、風化妖という妖怪が棲み着いていた。一千年もそこにおり、身の丈二丈、三面六臂で顔は青く毛は赤く、尖った口には牙が生えている。風を呼び火を吐いては家畜を襲い、村人たちに害をなして恐れられていたのだ。これが美しい青蛙娘の話を耳にして、ある晩、風を起こし火を吐いて王小の家を襲い、青蛙娘を連れ去ったのだ。

 風化妖は青蛙娘を洞穴に閉じ込めて結婚を迫った。しかし決してなびかなかったので、毎日折檻した。一方、王小は食事も出来ないほど心配し、ついに妖怪を倒して妻を救い出そうと決意した。

 村には九十歳あまりの老賢者がいた。王小が風化妖を倒す方法を尋ねると、彼は答えた。

「先人に聞いた話じゃ。東南の果てに高山があり、その頂上に蜘蛛洞という洞穴がある。ここに千年修行した蜘蛛の精がいて、悪をくじき弱きを助けるので蜘蛛大仙と呼ばれている。この大仙が持っている宝刀なら風化妖を倒すことが出来ると言うが、誰もその刀を見たことはないそうじゃ」

「妻のためなら、刀の山、火の海でも越えてみせます」と王小が言うと、老人は「鉄の斧から針を磨きだす決心があれば出来るかもしれぬ」と言った。

 

 王小は老人に礼を言うと、路銀と刀を持って旅に出た。昼も夜も何日も歩き続けた果てに、ついに蜘蛛洞に着いた。しかし中に入った途端、蜘蛛の網に捕らえられ、大仙に「何者か」と誰何すいかされた。

「私は王小と申します」
「何をしにここに来たのだ」
「あなたの宝刀を借りに来ました」
「何に使うのか」
「私の妻をさらい人々を苦しめる風化妖を倒すためです」

 蜘蛛大仙は王小を網から解放し、快く宝刀を貸してくれた。王小は大仙に頭を下げると風化洞へ急いだ。

 

 まさにその頃、青蛙娘は風化妖のひどい折檻の為に皮が破れ肉が千切れて死にそうになっていた。とうとう洞穴の前の大木に縛り付けられ、風化妖の手下に斬り殺されようとした時、王小が駆け込んできた。王小はかかってきた何十人もの手下たちを倒し、妻を救い出すと逃げ出した。

 手下の二人が「大王様、やられました」と高く叫んだのを聞いて、風化妖は怒りのあまり雷のように唸り跳ねながら現れ、王小に斬りかかった。しかし王小は少しも慌てずに迎えうち、斬り結んだ回数は五十回を越えた。

 風化妖は術を用い、大風が吹き荒れて炎が天を焦がした。これで奴の命はない……とほくそえんだのだが、王小が宝刀を振ると風はやみ炎は消えた。術が通用しないのを見て取ると、風化妖は身を翻して逃げ始めた。王小は追って宝刀を三度振るい、三つの頭を全て斬り落とされた風化妖はバッタリと地に倒れて動かなくなった。

 こうして王小は妻を取り戻し、夫婦は喜びの中、懐かしい我が家に帰還したのだった。


参考文献
蛙女房」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

※後半が なんか違う話になってる気がするのは私の気のせいだろうか…(苦笑)。いくら凄い宝刀を手に入れたからって、何十人もの妖怪の手下をばったばったと倒し、襲い掛かる妖怪の親玉相手に全く怯まず五十回も斬り結び、炎すら退ける。どこの剣豪だよこの人は。ただの農夫の王小が活躍しすぎだろう。(ついでに言えば、東南の果ての山の頂上に徒歩数日で行けるっつーのも……。)

「蛙の王女」の後半はあっさりしすぎで、王子自身は何もしないのに周囲の助けで解決してしまって少々興ざめなのだが(なにせ、王子がコシチェイと顔を合わせるシーンすらない)、ここまで主人公が強くなって大活躍だと、これはこれで微妙…かも。

 

 風と炎を操り雷のように跳ねる風化妖は、本来は「竜」であっただろう。魔物に奪われた妻を取り戻す夫の冒険民話は世界中にあるが、欧州のものでは「竜」とされ、中国や韓国では「巨鳥」、日本では「鬼」となる。しかしいずれの場合も大風(嵐)によって妻(姫)はさらわれる。

 

 余談ながら、選婚の儀式に使われる矢に「赤い絹」が巻きつけられているのは、日本に伝わる赤い糸の伝説を思うと興味深い。「蛙の王女」等で弓を放つことで嫁選びすることを、キューピッドの矢に結び付けて考える向きがあるが…。

 矢を放って嫁選びをするモチーフは、日本の民話では「白羽の矢」に片鱗がある。神の妻(怪物の生贄)に選ばれた娘の家には白羽の矢が突き立っているのだ。なお、韓国の済州島の建国神話では、神婚した三兄弟はそれぞれ矢を放って、その矢の落ちたところに住んだことになっている。


参考 --> 【たにし女房



参考 --> 「二十日鼠になった王女」「三枚の鳥の羽根」「二文のヤニック」「ガラスの山



森の中の蛙  フランス

 昔、広大な領地と巨万の富を誇る王がいた。ある日、王は等しく可愛がっている三人の息子にこう言った。

「子供たちよ、わしも歳をとってきた。この歳で思うように治めるには領地が広すぎる。そこで、お前たちのうちで最も見事な織物を持ってきた者に、領地の三分の一を与えようと思うのだが」

 それを聞くと、王子たちは早速それぞれの方向へ出かけていった。末息子のコンスタンは一日中歩いた果てに、とある大きな森に入り込んでしまった。日は暮れてザアザアと雨が降り、心寒く思っていると、遠くに微かな灯りがある。それを頼りに進むと大きな城の前に出た。

 扉を叩いてみたが返事はない。もう一度叩くと、中から女の声が聞こえた。

「入ってもいいけど、私と結婚するって約束してくれなきゃ嫌だわ」

「冗談じゃない! 顔も見たこともない女性とは結婚できないさ」

「それじゃどうぞお好きなように。外で雨にうたれていなさいな」

「分かったよ、結婚するから中に入れてくれ!」

 扉が大きく開いて、コンスタンは中に入った。辺りには誰もおらず、けれど広間のテーブルには美味しそうな料理が並んでいる。空腹に負けてそれを平らげると、最後の一口をほおばった途端に、一匹の小さな蛙が膝の上に飛び乗ってきた。

「コンスタン、あなた心配事がある顔をしてるわ。何があるのか話してちょうだい。助けてあげられるかもしれないから」

「汚い蛙のくせに僕を助けるだなんてふざけてるよ。早くどいてくれ!」

「まあ、随分乱暴な口をきくのね。私と結婚の約束をしたのを忘れたの? 私はあなたの婚約者じゃないのかしら」

「驚いた。僕が蛙と結婚するだって?」

「どうしてそれがいけないの? 私と結婚すればすごく幸せになれるわ。間違いないのよ。安心して、この城に来た訳を話して」

「言うだけは言うけど。どうにかなるとも思わないね」

「そんなこと分からないわ」

「いいかい。僕たちは三人兄弟なんだ。父は王で、その王が僕たちに言った。一番見事な織物を持ってきた者に王国の三分の一を与えようって」

「それだけ? じゃ、もうお休みなさいな、コンスタン。何も心配しないでぐっすり眠るといいわ。今晩のうちに名付け親の妖精(仙女)のところへ行って、どうすればいいか聞いてくるから」

 そう言って小さな蛙はピョンピョンと跳んでいった。翌日コンスタンが目を覚ますと、ベッドの端に蛙が乗っかって彼が起きるのを待っていた。

「どうだった、蛙ちゃん?」

「万事うまくいったわ。妖精のおばさんがこの箱をくれてこう言ったの。

『いつもおしとやかにして、礼儀正しくしているのよ。この箱を許婚いいなずけにあげなさい。これをお父様のところへ持って行くようにって』

 そして私がすぐにあなたのところへ戻れるように、犬と猫と二十日鼠が引く木靴の車に乗せてくれたのよ」

「ありがとう蛙ちゃん。その箱をおくれ。じゃあね」

 コンスタンが城に戻ると、もう二人の兄は負けず劣らずの立派な織物を広げているところだった。コンスタンは箱を父王に渡した。王が箱を開くと、ごく薄くて、はかりでは計れないほど軽く、一番細い針の穴さえ楽々と通ってしまうような織物が出てきた。その長さといったら果てしないほどだ。王はこう言わざるを得なかった。

「コンスタン、そなたが一番見事な織物を持ってきた。従って、わしの王国の最初の三分の一はそなたのものになる」

 だが、と王は続けた。「二番目の分は、一番見事な小犬を連れてきた者にやろう」

 それを聞くと、王子たちは早速それぞれの方向へ出かけていった。コンスタンはまっすぐにあの城に向かった。トントンと扉を叩くと、中から可愛らしい声が返ってくる。

「あなた、コンスタン?」

「そうだよ、蛙ちゃん」

「お入りになって」

 中に入ると最初の時と同じように美味しそうな肉や果物やお酒が並んでいて、コンスタンはそれをたらふく食べ、浴びるほど飲んだ。最後の一口をほおばると同時に、一匹の小さな蛙が膝の上に飛び乗ってきた。

「ねえコンスタン、今度は何が必要なの?」

「一番見事な小犬を連れてきた者に二番目の領地をやるって言うんだ」

「それだけ? じゃ、寝てらっしゃい。心配しないでぐっすり眠っていいわ。今夜も妖精おばさんのところへ行って、どうすればいいか聞いてくるから」

 そう言って小さな蛙は跳ねながら出かけていった。翌日、コンスタンが目を覚ますと、蛙はもうベッドの端に乗って彼が起きるのを待っていた。

「どうだった、蛙ちゃん?」

「上々よ、コンスタン。おばさんがこの箱をくれてこう言ったの。

『いつもおしとやかにして、礼儀正しくしているのよ。この箱を許婚いいなずけにあげなさい。これをお父様のところへ持って行くようにって』

 そして私がすぐにあなたのところへ戻れるように、犬と猫と二十日鼠が引く木靴の車に乗せてくれたのよ」

「ありがとう蛙ちゃん。その箱をおくれ。じゃあね」

 コンスタンが城に戻ると、二人の兄はそれぞれ勝るとも劣らない可愛らしい小犬を連れ帰っていた。コンスタンは箱を父王に手渡した。王が箱を開けると、小さな小さな、それは可愛らしい小犬が出てきた。それ以上小さくて美しい犬は到底ありえないだろう。王はどうしようもなくてこう言った。

「コンスタン。そなたが一番可愛らしい小犬を連れてきた。わしの二番目の領地もそなたにくれてやることにしよう。しかし最後の分は、一番美しい王女を花嫁として連れてきた者に与えよう」

 それを聞くと、王子たちは早速それぞれの方向へ出かけていった。コンスタンは例の城にまっすぐに向かった。トントンと扉を叩くと、中から可愛らしい声が返ってくる。

「あなた、コンスタン?」

「そうだよ、蛙ちゃん」

「お入りになって」

 中に入ると最初の時と同じように美味しそうな肉や果物やお酒が並んでいて、コンスタンはそれをたらふく食べ、浴びるほど飲んだ。最後の一口をほおばった時に、一匹の小さな蛙が膝の上に飛び乗ってきた。

「まあコンスタン、これまでよりずっと悲しそうだわ。今度は何か難しいものを持っていかなくちゃいけないの?」

「そうなんだ。一番美しい王女を花嫁として連れてきた者に王国の残りをやるって言うんだ」

「そう……。確かに面倒ね。でも心配は要らないわ。今夜も妖精おばさんのところへ行ってみるわ。あなたは私を待たないで、すぐにお父様のところへ戻りなさいな」

「分かった、蛙ちゃん。君の言うとおりにしよう。父上のところへ帰っているよ」

 今度ばかりはどうにもならないのだろうか。コンスタンはがっくりして、しおしおと城を出た。

 

 さて、蛙は名付け親の妖精のところへ行ったが、彼女が入ってくるのを見て妖精はこう言った。

「なぜ来たのか知っていますよ。すぐに犬と猫と二十日鼠の引く木靴の車に乗りなさい。そしていつでもおしとやかにして、途中で会う人みんなに礼儀正しく、周囲に気を遣うんですよ。後は任せてちょうだい」

 蛙は木靴の車に乗って、風のように出発した。途中、大きな川を越えなければならなかった。川岸で洗濯女たちが洗い物をしていた。

「ワンちゃん、ネコちゃん、それにハツカネズミちゃん。あの人たちがお洗濯をしている水を汚さないように、そうっと渡ってちょうだい」

 蛙がそう言った途端、木靴は世界で一番美しい馬車に変わり、犬と猫と二十日鼠は駿馬に変わって、同時に蛙は真昼のように光り輝く、夜明けオーロラよりも爽やかな姫君に変わっていた。その時、洗濯女の一人が呼びかけた。

「娘や、私ですよ。あなたの名付け親ですよ。あなたがちゃんと私の言いつけを守るかどうか見極めるためにこんな姿になっていたの。会う人みんなに礼儀正しく接するかどうかってね。でもちゃんと言うことを聞いてくれましたから、元々の姿の可愛いお姫様にしてあげられたのだわ。

 さあ、安心して王様のところへ行きなさい」

 蛙姫がその馬車で王宮に着くと、辺りが照り輝くようだった。そんなに素晴らしい馬車も、それ以上見事な馬も、そしてこれ以上に美しいお姫様も、誰も見たことがなかった。彼女は馬車から降りてコンスタンの方に歩み寄り、手を差し伸べた。

「コンスタン。お父様もお兄様方も、あなたがお嫁さんを連れてこなかったので、きっと馬鹿にしたことでしょう。でも、来ましたわ。あなたが結婚を約束したちっちゃな蛙が私だったのよ。約束を守っていただくためにここまで来たわ」

 誰が満足したかって? 言うまでもない、コンスタンだ。膨れたのは二人の兄だ。王はこれ以上美しい嫁は考えたこともないと言わざるをえなかった。そこで王国の残りの分もコンスタンに与えられることになった。

 

 婚礼は盛大に執り行われた。私もそこにいた。美しい王女と結ばれてどんなに幸せかを世間に語るようにと言ったのは、他ならぬコンスタンその人なのだ。

参考文献
フランス民話より ふしぎな愛の物語』 篠田知和基編著 ちくま文庫 1992.

*この話を読んで、「サンドリヨン、またはガラスの小さな靴」を思い出した人はいないだろうか。有名な「かぼちゃの馬車」は他のシンデレラ譚には見当たらず、ペローの創作であろうと考えられているのだが、この民話に登場する「木靴の車」はそれによく似ている。みすぼらしい女の子が美しい姫君に変身するとき、小さなつまらないおもちゃの車は立派な馬車に、それを引くネズミは駿馬に変わる。そして、その魔法を使うのは妖精の名付け親であって、サンドリヨンに「十二時には必ず帰りなさい」と命じたように、口うるさく「おしとやかに礼儀正しく」と言い聞かせるのだ。

 サンドリヨンをみすぼらしく変えていたのは継母や義姉たちの悪意で、彼女を美しく変える(戻す)のは名付け親だったが、この話では娘を蛙に変えていたのも戻すのも名付け親である。

 

 この話には選婚のモチーフがなく、嫁比べ=後継者競争が突然始まっている。ペローと同時代の女流作家マリー・カトリーヌ・ド・オーノワの童話に「白猫(白猫姫/白い猫)」があるが、冒頭部分などはそちらにより近い。その話を次に紹介することにしよう。

白猫  フランス オーノワ夫人

 王に三人の息子がいた。後継者を選ぶことにした彼は、隠居する自分の慰めとなる小犬を要求した。最も好い小犬を連れてきた者に玉座を与えると。本来の権利者であるはずの長兄が礼儀正しくそれを了承したので、三人の王子は王に与えられた路銀と剣を持って、一年後の再会を約し、それぞれ旅立った。

 末の王子は若く快活で、王子の地位に相応しい魅力を備えている。様々な犬を見たが、すぐにそれ以上のものを見つけて目移りするばかりだった。長く旅をした後、彼は暗い森に迷い込み、雷雨に遭った。微かな明かりを見てそこに向かうと、立派な城がある。美しい磁器の壁には王子が知っている限りのあらゆる物語の絵が描いてあった。明かりと見えたのは、この城の黄金の門に飾られた赤い宝石の輝きだったのだ。

 こんな城に住んでいるのは何者なのだろう。王子がダイヤのチェーンでぶら下げられた鹿の脚のノッカーで扉を叩くと、それは開いたが、そこに待ち受けて手に手に松明を持っていた者たちの体は見えなかった。「手」だけなのだ。剣に己の手をかけながら宝石で作られた美しい城内に入ると、広間に歌声が響いた。

浮かんでいる「手」は
迅速にあなたの命に従います

もし愛に征服されることを怖れないなら
あなたは好きなだけここにいることが出来る

 不思議な手に案内されて眩い灯りに照らされた数々の美しい部屋を見た。六十部屋も見た後で大広間に入ると、暖かな暖炉の側に肘掛け椅子が用意され、賢明な手が雨で濡れた服を脱がせて、上等で新しい服を着せてくれた。(「手」はとても賢く器用だった。たまに突然現れて王子を飛び上がらせはしたが。)

 王子がすっかり見違えたように立派になると、手は王子を食卓に導いた。部屋の壁には長靴をはいた猫や他の有名な猫の絵が描かれている。テーブルの上には金の皿と金のカトラリー、サイドボードにはクリスタルのグラス。突然現れた一ダースの猫たちがキイキイとギターをかき鳴らすのに耳を塞いで笑った後で、扉が開き、剣を佩き黒いマントを羽織った二匹の猫に守られて、黒いベールをすっぽりと被った何者かが入ってきた。それは愛らしい小さな白猫だった。ハートを直撃するような甘い声で白猫は王子に言った。

「私は猫の女王です。王子、あなたに逢えて嬉しいですわ」
「歓待に感謝致します。しかし、あなたの話し方やこの素晴らしい城を見るに、あなたは全くただの猫ではありませんね」
「お恥ずかしいわ。どうか気楽にお話しして下さい。お食事にしましょう」

 不思議な手が夕食を運んできた。王子の前に置かれたのはとろ火で煮られた鳩の料理だったが、その後で丸々太ったネズミの煮込み料理が運ばれてきたのを見て、王子は気分が悪くなった。白猫はそれを察し、彼の為に別々の台所で調理したのだと教えた。王子は、猫の女王は嘘をついていないと確信した。

 やがて白猫の前足にロケットの付いたブレスレットがあることに気づいて見せてくれるように願ったが、驚いたことに、中には非常にハンサムな若者が描かれていて、まるで王子自身の肖像画のようでもあった。すると白猫はとても悲しそうにため息をついたので、王子は白猫を悲しませるのを恐れてそれ以上何かを訊く勇気が持てなかった。そこで話題を変えたが、白猫の知識や見聞は広く、王子が興味を持つあらゆることに精通しているようだった。夕食の後でダンスを楽しみ、その後で白猫は「おやすみなさい」と言って立ち去った。王子も「手」に案内されて客室で休んだ。

 あくる日は狩が行われた。白猫は家来の猫たちを引き連れ、猿に乗っていた。王子は魔法の木馬に乗った。楽しい狩が終わった後で、白猫は王子に水晶の杯を渡した。その中身を飲み干すと、どうしたことか、王子は自分がどこの国の何者であったかも、父王の為に小犬を探していたこともすっかり忘れてしまって、ただただ白猫と楽しい日々を過ごすようになった。

 けれども、ある日とうとう白猫は王子に告げた。

「あなたは、あなたのお父様の為の小犬を探す時間があと三日しか残っていないことや、あなたのお兄様たちはそれぞれ素敵な犬を見つけたことを知っていますか?」

 たちまち思い出して、王子はすすり泣いた。

「どうして忘れていたんだろう。あと三日で小犬を探して城まで戻るなんて出来るはずがない!」
「悲しまないで。私はあなたの友人ですから、あなたのために全ての便宜を図るつもりです。あなたはあと一日、まだここに滞在することが出来ます。その後で、良い木馬が十二時間であなたをあなたの国へ連れて行くことでしょう」
「ありがとう、美しい猫よ。けれど私は父の為の小犬を見つけていないのです」

 王子がそう言うと、白猫はドングリを取り出してみせた。

「御覧なさい。犬狼星よりも美しいものがこれに入っていますよ」
「おお、愛しい猫よ。どうして意地悪をするんですか。私をからかうなんて」
「黙って聞いて下さい」

 白猫はドングリを差し出したままだ。その中から微かな声が聞こえるのに王子は気づいた。「犬の吠え声!」

 ドングリの中に納まる犬はどんなに小さいものだろう。王子は中を見たがったが、白猫は犬が死ぬといけないので父王の前に出るまで開けない方がいいと注意した。王子は一千回も白猫に感謝して名残の尽きない別れの挨拶をし、「あなたを連れて行ければいいのに」と言った。けれども白猫は首を横に振って深いため息をつくばかりなのだった。

 木馬は王子を乗せて跳ね上がり、兄王子たちが約束の場所に来たときには、もうそこに末王子を運んでいた。兄弟は喜びの再会をし、兄たちは弟にこれまでの冒険を物語った。けれど末王子は白猫との体験だけは話さなかった。

 あくる日になると三兄弟は二輪戦車チャリオットに乗り、揃って父の宮殿に向かった。人々が詰めかけた中、兄王子たちがバスケットから出した小犬は甲乙付けがたく、二人に均等に王国が与えられるということで話がまとまりかけた。しかし末の王子はそこに進み出て、ポケットからドングリを取り出すと素早く割った。その中には簡単に指輪を潜り抜けることが出来そうなくらい小さな犬が入っていた。王子が床に置くと、それは踊った。

 王は、この小さな生き物より可愛いものは見たことがなかった。けれどもすぐに王冠を手放すことはせず、針の穴を通せるほど薄い毛織物メリヤスを探してくるように命じた。三兄弟はあまり気乗りがしなかったが、再びチャンスを得た兄たちは同意して出かけていった。

 末の王子は木馬に乗ると、全速力で最愛の白猫の城に戻った。城の扉も窓も全て開け放たれてあり、ライトアップされていて、以前にもまして美しく見えた。「手」は素早く迎え出て厩に木馬を繋いだ。王子が白猫を探すと、彼女はバスケットの中の白いサテンのクッションの上で眠っていた。彼が戻ってきたことに気づくと大喜びして立ち上がり、「どうしてあなたが戻ることを私が望めたかしら、王子」と言った。

 王子は父王の望みを叶えることは不可能だと思っていたので、白猫を撫でながら、前回の課題が白猫のおかげで成功したこと、なのに新たな課題を与えられたことを語った。白猫は深刻な様子で考え込んで、私に出来るかどうか検討しなくては、と言った。ところが幸運なことに、城に勤める何匹かの猫が、そんな織物を織る腕を持っていたのだ。白猫は彼らに指示を与えた。「手」が彼らを川に面したテラスに案内し、花火を見ながら食事を摂った。長い旅で空腹だった王子は花火よりも食べることに夢中だった。

 織物が出来上がるまでの日々は楽しく、以前のように瞬く間に過ぎていった。白猫と一緒にいると退屈など感じることはないのだ。白猫は楽しみを見つける才能があり、しかも賢かった。けれど王子がそのことを訊ねると「末の王子、察して下さい。何も訊かないで」と言うのだ。

 この日々の間 王子は幸せだったが、とうとう白猫は期限が近付いたこと、織物の方は上手くいったので心配は要らないことを知らせた。「今回は、あなたに相応しい護衛をつけることが出来るわ」と、素晴らしい馬に引かれた二輪戦車に乗り軍服を着た一千人の兵を用意して、決して王の前に出るまでは開けないようにと言い含めてクルミを渡した。

「行って下さい! 王はあなたが王冠に相応しい人間であることを否定しないでしょう」
「可愛いクララ。どうすればあなたの全ての優しさに感謝を表せるんだろう。そう望むと言って下さい。そうしたら私は、王になる望みも捨てて、ここに永遠に留まるのに」
「優しい人ね。あなたはネズミを捕まえさせる用途だけではなく、もっとちっちゃな白猫のことを気にかけるべきだわ。でも、あなたはここに留まっていてはいけません」

 それで王子は彼女の小さい手にキスして、出発した。これまでの半分の時間で自国に到着したと聞けば、どんなに速かったかを想像出来るだろう。それでも少し遅れたので、兄たちは弟は来ないものと思って自分の織物を父王に見せていた。それらは本当に素晴らしくて、大きな針の穴なら通り抜けそうだった。

 けれども王は、自分が本当に難しい課題を出したことに満足しつつ王冠の宝石から針を取り出して、この針の穴を通らなければならぬと言った。その穴はとても小さかったので、兄王子たちはこれはイカサマだ、と怒り始めた。

 その時、突然トランペットが鳴り響いた。一番若い王子が入ってきたが、王と兄弟たちは彼の堂々たる様子に驚いた。末の王子は挨拶をすると、ポケットからクルミを取り出して割った。中に織物があると思っていたのだが、そこにははしばみヘーゼルナッツだけがあった。それを割るとサクランボの種があった。王は可笑しそうに笑った。それでも末王子はサクランボの種を割った。しかしそこに種の核しかないのを見て、誰もがゲラゲラと嗤った。王子はそれを割って小麦の粒を見つけた。その中には雑穀の種があった。

 ここにきて末王子自身も怪しみ始め、
「白猫よ、あなたは私をからかっているのか?」と呟いた。途端に猫の爪に引っかかれるのを感じて、それを励ましに思って雑穀の種を割った。果たして、中から現れたのは最も美しい色と素晴らしい模様の毛織物で、400エルもの長さがあった。それは例の針の穴を簡単に六回も通り抜けた!

 王は青ざめ、兄王子たちは悲しい顔をしていた。この織物が最も素晴らしいものであることを、誰も否定できようもない。間もなく深いため息をついて、王は息子たちに言った。

「わしの望みを叶えようというそなたの熱意は、老いたわしを慰めることは出来なかった。

 もう一度出かけておくれ。そして一年後に、最も美しい王女と結婚して連れ帰った者に、今度こそ遅延なく王冠を授けよう。わしの後継者は結婚している者が相応しい」

 王子はこれまで何度も自分が条件を満たしたはずなのにと思ったが、上品に育てられたのでその場で食って掛かりはしなかった。素晴らしい二輪戦車に戻ると親衛隊に囲まれて、行きよりも速く白猫の城に戻った。

 今度は白猫はベランダに座って彼を待っており、道には花が撒き散らされ、一千の香炉に香木が燃やされていた。

「よく来ました、王子。あなたは王冠を被らないまま、またここに戻ってきましたね」
「お嬢さん。あなたの助力に感謝します。おかげで私は何度も一位になった。しかし、実のところ父上は、私に王位を渡すのが嬉しくないようなのです」
「気にしないで。それは挑戦するに足るものだわ。あなたの次の課題は、私の人生にも関わることだもの。一年後のその時まで楽しみましょう。今夜、私の猫と川ネズミに試合をさせるのよ」

 こうして、その年は去年よりももっと楽しいものとなった。時折、王子は白猫に訊ねずにはいられなかった。

「きっとあなたは妖精だね。あるいは、魔法使いの誰かがあなたを猫に変えたんでしょう」

 けれど、白猫は何も答えなかった。

 日は瞬く間に過ぎ、ある晩並んで座った時、白猫は「明日、美しい王女を家に連れて行きたいのなら、その準備は出来ています」と告げた。

「剣を取って下さい。そして、私の頭を斬り落として」
「あなたの頭を斬り落とせですって! 愛しいクララ、どうしてそんなことが出来るものか」
「お願い。王子」

 王子は泣いたが、白猫は決して決意を変えなかった。ついに王子は自分の剣を抜いて、震えながら必死に小さな白い頭を斬り落とした。

 ところが。次の瞬間、美しい王女が目の前に立っているのを見た王子の驚きと喜びを、あなたも想像して欲しい。彼が驚きでまだ言葉が出ないうちに扉が開き、それぞれ猫の皮を持った大勢の騎士と貴婦人たちが入ってきた。彼らは美しい王女の手にキスを落とし、彼女が元の姿を取り戻した祝福を口にした。その騒ぎが二、三分過ぎた後で、彼らは王子と王女を二人きりにした。

「ほらね」と王女は言った。
「あなたが私をただの猫じゃないって思ったのは、正しかったわ。

 私の父は六つの王国を支配していたの。母は冒険好きで好奇心旺盛で、父はそんな母を心から愛していたわ。私が産まれてまだ二、三週間目だった時、母はかねてから素晴らしいと話を聞いていた、ある山を訪ねる許可を父から得たの。そして何人かの従者を連れて出かけたわ。
 その途中で、妖精が所有している古い城の側を通りかかった。誰もその城のことを知らなかったけれど、最上級に素晴らしいものが一杯だと報告されたわ。母は、妖精は彼らの庭にだけある特別の果物を味わうと話に聞いていたのを思い出したの。
 母は自分の足でそこに入ることにしたわ。黄金と宝石で輝く扉を従者にノックさせたけれど、役には立たなかった。その城の住民は全員眠っているか死んでいるに違いないと思わせたわ。簡単には中に入れない。そこで母は城を囲む塀に梯子を掛けさせたの。けれど、さして高いとも思えなかったのに、どういうわけか全く頂上へは着けなかった。
 母はがっかりして、具合まで悪くなった。ちょうど夜になったので従者たちを休ませて、自分も横になったわ。真夜中ごろに突然起こされた。小さな醜い老婆が枕元に現れていた。彼女は言ったの。

『私たちの果物をどうしても食べたいと譲らないのは少々厄介だね、女王様。けれど、私たち姉妹はある条件と引き換えに、あんたに果物を持って行かせることにした。――あんたの小さな娘は、私たちが引き取って育てる』
『おお、親愛なるマダム。他に引き換えになるものはないのですか? 私の王国ならば喜んで与えますわ』
『いいや。私たちが欲しいのはあんたの娘だけだよ。あの子は魔法の国であらゆる物を与えられて楽しく暮らすだろう。だが彼女が結婚するまで、あんたは二度と会ってはならない』
『苦しいことだわ。でも、同意します。妖精の果物を味わえなければ私は死んでしまうでしょう。そして、そうなっても小さな娘には会えないのだもの』

 それで、妖精お婆さんは母を城に案内したの。まだ真夜中だったけれど、母はそこが話に聞いていたよりずっと美しいのを見たわ。それがどんなに素晴らしかったか、それを、あなたは簡単に信じることが出来るでしょう? 此処こそがその城なのですから」

 美しい王女は王子にそう言うと話を続けた。

「年をとった妖精は母に言ったわ。

『果物を摘みなさい、女王。あるいは、あんたのところへ行くように果物に命じてやろうか?』
『果物が呼び集められるのなんて見たことないわ。そうして下さい』

 妖精お婆さんは二回笛を吹いて叫んだの。

『あんず、桃、ネクタリン、サクランボ、プラム、西洋梨、メロン、ぶどう、林檎、オレンジ、レモン、グーズベリー、いちご、木苺よ、おいで!』

 瞬く間にそれらは転がり込んできたけれど、どれも埃なんて付いていなくて綺麗で素敵だった。妖精お婆さんは母に果物を取るための金のバスケットを与えた。それは四百頭のラバが運ぶほど沢山あったわ。
 それから妖精は母に約束の念押しをして、野営地に戻らせた。

 あくる朝、母は国に戻ったけれど、幾らも行かないうちに後悔し始めたの。迎え出た父は母の悲しそうな様子を見て何があったのか訊ねた。母は最初は打ち明けるのを恐れていたけれど、すぐに妖精に派遣された五人の小人が訪ねて来たので、打ち明けざるをえなかった。
 父はとても怒って、母と私を大きな塔に閉じ込めて守り、小人を追い払ったわ。すると妖精は、出会ったもの全てを炎の息で焼き殺し食い尽くしたというドラゴンを送り込んだ。ドラゴンを倒そうと無駄にあがいた後で、父は彼の国民を守るために、私を妖精に与えることに同意せざるをえなかった。
 今度はタツノオトシゴが引く真珠の二輪戦車に乗って、妖精自身が私を迎えに来た。その後にはダイヤのチェーンで繋がれたドラゴンが従った。妖精は私をとても可愛がって、特別に作った高い塔に住まわせて、毎日ドラゴンに乗って飛んで来ては訪ねた。私はそこで、全ての美しく珍しいものに囲まれて、王女に相応しいあらゆる教育を受けて成長したわ。ただオウムと小犬だけを友達にして。

 そんなある日、窓辺に座っていた私は、私を見上げる若いハンサムな王子に会ったの。彼は私の刑務所を囲む森で狩をしていたようだった。彼はとても礼儀正しかったわ。
 あなたは、新しく自分と話してくれる誰かがいることがどんなに嬉しいか想像出来る? 私のいる窓は高かったのに、お喋りはずいぶん続いたわ。夜になって彼はしぶしぶ帰っていった。
 それから彼はしばしば訪ねてきて、とうとう私は彼との結婚に同意したの。問題は、どうやって塔から逃げ出せばいいのかということだった。
 妖精はいつも、私の糸紡ぎの為に亜麻を運んできていた。私は苦労してそれで塔の下まで届く縄を作ったの。
 でも、ああ! 私の王子様が、私がそれを伝って下りるのを手伝っていたその時、妖精お婆さんの中でも一番怒りっぽくて醜い人が飛んで来て、彼をドラゴンに飲み込ませてしまったのよ。

 妖精たちは私を小人の王と結婚させるつもりだったので、激怒した。けれど私が断固拒否したので、私を白猫に変えたんだわ。
 彼らが私を塔からこの城に連れてきた時、私は私の父の宮廷の全ての騎士と貴婦人が魔法に掛けられて、私を待ち受けているのを見たわ。もっと低い身分の人たちは「手」だけしか見えなくなっていた。
 自分は妖精の子供だと信じていた私に、妖精たちは全ての過去を話したわ。そして、私の不運な恋人にあらゆる点で似た王子が愛してくれることが、私が元の姿を取り戻す唯一の道なのだと教えた」

「そしてあなたは勝った。愛しい姫よ」と、王子は口を挟んだ。

「あなたは、本当にとても彼に似ているわ。目鼻立ちも、声も、その他の色々も。そしてあなたが本当に私を愛してくれているのなら、私の苦難は終わったのよ」
「そして私の苦難も。あなたが私との結婚に同意するならば」

 王子が言うと、美しい王女は答えた。

「私は既に、世界の誰よりもあなたを愛しているわ。
 でも今は、あなたのお父様のお城に戻る時間です。お父様の答えを聞きましょう」

 そこで王子は彼女の手を取って外に導き、彼らの二輪戦車に一緒に乗った。その一団は以前よりずっと素晴らしかった。馬の蹄鉄さえダイヤで、蹄鉄を留める釘はルビーで出来ていた。こんなものを見るのは初めてだろう。王女は彼女の美しさと同じくらい優しくて賢かったので、この道行きが王子にとってどんなに嬉しいものであったか想像に難くはない。

 三兄弟が待ち合わせた城に着くと、王女は四人の護衛に担がせた椅子に座った。それは一つの見事な水晶から切り出されたもので、絹のカーテンで王女の姿を隠していた。末王子は兄たちが美しい妻たちとテラスにいるのを見て会いに行った。兄たちは、お前も妻を見つけたのかと訊ねた。王子は返した。

「とても珍しいものを見つけたよ。白猫さ」
「白猫だって! 城でネズミでも取るのかい」

 兄たちは笑い、やがて三兄弟は揃って父の宮殿へ向かった。どの車も素晴らしかったが、一番最後に来た末の王子と水晶の椅子には、誰もが好奇心と賞賛を込めて見ずにはいられなかった。
 王は並びいる延臣たちに尋ねた。兄王子たちの妻は美しいかと。誰もがこんな美しい女性には会ったことがないと答え、王はどちらかを選ぶのは不可能だと悟った。それから末の息子を見て言った。

「結局、そなたは独りで戻ってきたのか」
「陛下。水晶の椅子の小さな白猫に気付いて下さい。柔らかい足があり、可愛い声で鳴く。きっと気に入りますよ」

 王は笑い、カーテンを開けに行った。しかし王女が触れると水晶は震えて一千のかけらとなって砕け、あらゆる美しさを備えて彼女が立っていた。その金髪は肩に流れて花で飾られ、身にまとうローブは最上の白だった。賞賛の呻きが周囲から上がる中、彼女は優雅に礼をして王に言った。

「陛下。私は、あなたがそれほどに見事に治める王座を奪いはしません。私は既に六つの王国を持っています。あなたに一つ、同じようにあなたの息子さんたちに王国をお贈りすることを認めて下さい。私たちにはまだ三つの王国が残っていますから。私があなたに求めるものは、あなたとの友好と、あなたの末の息子さんとの結婚の承諾だけです」

 王と全ての廷臣たちは喜びを隠しきれなかった。三人の王子の結婚は讃えられ、祝宴は数ヶ月続いた。それから、各々の王と王女は自らの王国に出発し、その後ずっと幸せに暮らした。


参考文献
The White Cat」/『maerchenlexikon.de』(Web)

※ほとんど省略せずに訳出したのは、「蛙の王女」や「森の中の蛙」との語り口の違いを感じて欲しかったからである。これらの話は内容的には殆ど同じことを語っているが、受ける印象は違う。前者はシチュエーションと言葉を繰り返してリズムを持たせることで、覚えやすくスルスルと読めてしまう。その代わり登場人物の深い心情には殆ど触れていないため人物が薄っぺらく感じられ、王子が本当に蛙を愛していたのか、王位を得るために利用していただけではないのかとの邪推すら出来てしまう。一方「白猫」は登場人物の心情をきめ細かに描き、王子が白猫の容姿ではなく声や仕草や賢さ、優しさを心から愛し、ついに王位を得ることを捨ててまで彼女の元に留まろうとしたことが語られているが、代わりに文章がだらだらと長くて読みづらい。

 口承であるなら、断然、前者のリズムがあって短い語り口が相応しいが、文字で再話され補填されて文学作品となったものにはまた違った味わいがある。物語への切り込み方の方法を考えさせられて面白い。

 

 一読して、この童話が様々な伝承文学や民話を組み合わせて書かれていることが分かるだろう。そして作者もそれを隠していない。妖精の城の壁や室内に、長靴をはいた猫などの様々な物語の絵が描かれていたと語られていることからそれが分かる。

蛙の王女」に「長靴をはいた猫」系からイメージしたアレンジを加えて蛙を猫に変え、猫の首を落とす転生シーンを入れている。妖精の城に入ろうと高い壁に梯子を掛けるくだりは「太陽と月とターリア」に見られるような【眠り姫】系統のモチーフ。(病を癒すため)神の果実を求めて眠りに沈んだ城の庭に入り込むのは[命の水]系統の話に見られる。女神の園に迷い込んだ男が現世のことを忘れて悦楽の日々を過ごす物語も「ギンガモール」など珍しいものではないし、母親が妖精の畑(果樹園)の作物を得たことと引き換えに娘が妖精に育てられ、高い塔に住むくだりは[ラプンツェル]系のモチーフだ。

 

 単に物語の感想を述べるなら、白猫姫の善良さが心を打つ。彼女は自分も辛い立場にいながら王子を無理に引き止めたり強いて救いを求めようとしたりしないし、王子が国を得るために協力を惜しまずにいながら、最後には逆に自分の王国の半分を与えてしまう。

 そして彼女を育てた妖精たちも不思議である。裏切った養女に呪いをかけながら、それを解く方法を教え、城で豊かに暮らせるよう手配をし、その後は一切邪魔をしない。

 前に紹介した「森の中の蛙」では、名付け親の妖精は名付け子に「結婚前の娘に相応しい貞淑さ」を求め、逸脱しないように醜い蛙の姿を強いてさえいる。この物語の妖精たちも、養女が本当に相応しい結婚相手を見つけるまで管理しようとしていたのかもしれない。それにしても最初にドラゴンに飲まれてしまった王子様が不憫だが、その不満は、次に紹介する「金の髪と小さな蛙」を読めば解消するかもしれない。そして、「白猫」では未消化のまま終わってしまっている、妖精お婆さんが塔に閉じ込めた娘にオウムを与えていたという伏線も、そちらではきちんと消化されている。

 

参考--> [ラプンツェル]「マリアの子

金の髪と小さな蛙  フランス

 昔、《金の髪》と呼ばれる愛らしい娘がいた。その名付け親は聖母さまで、娘によく会いにやってきた。聖母さまは娘にオウムをプレゼントしたが、それは時々舌足らずにお喋りするのだった。

 ある日も聖母さまは娘を訪ねたが、《金の髪》はもう立派なレディになっていて、密かに恋人さえいた。りりしい若者がこっそり逢いに来ていたのだ。聖母さまが扉を叩いたので、娘は急いで恋人をベッドの下に隠してから「どうぞ!」と言った。ところがオウムが喋ったのだ。

「ねえ、ねえ、男の人がベッドの下に隠れてるよ」
「まあ! このオウムったらしょうがない子ね。今朝、箒をベッドの下に入れたのよ」

 娘に誤魔化されて、この日は聖母さまは帰っていった。二、三日してまた聖母さまが訪ねて来たとき、それを窓から見た《金の髪》は「逃げましょう」と恋人に言った。途端にオウムが叫びだした。

「マダム! 男の人がお嬢さんを森に連れ出したよ!」

 聖母さまは森へ向かった。彼女の方がずっと速かったので、先に小川を渡った恋人の方へ行こうとしていた《金の髪》を発見した。

「どこへ行くつもりなのですか。いいえ、何も言わなくていいわ。今まで美しかったのと同じくらい、これからは醜くなるといい!」

 聖母さまがそう言うと、《金の髪》の姿が変わった。彼女は小川の中の小さな雨蛙になってしまったのだ。

 

 それでも恋人は毎日やってきて雨蛙と話した。彼は王さまの三人目の息子だったが、彼の兄たちはそれぞれお姫さまと付き合っていて、雨蛙と愛し合っている弟のことを嘲っていた。

 あるとき王さまは三人の息子に言った。
「お前たちの中で、最も見事な馬を探してきた者に城をやろう」

 二人の兄さんは馬を探しに行った。末息子は蛙のところへ行って頼んだ。
「ねえ、君の名付け親に頼んで、きれいな馬をもらえないだろうか? そうしたら城がもらえるんだけど」

 聖母さまは、あれからも娘に会いに小川を訪ねてきていた。次に彼女がやって来た時に蛙がそのことを頼んでみると、川辺にきれいな馬がやってきた。兄さんたちは買った馬を城に連れてきたが、聖母さまの馬とは比べ物にならなかった。「お前の蛙にでも会いに行けばいいさ!」と、兄さんたちは悔し紛れに言った。

 今度は王さまはこう言った。
「一番きれいな犬を連れてきた者に城をやろう」

 兄さんたちは犬を探しに行った。末息子はまた蛙のところへ行った。前と同じで、名付け親は世界一きれいな犬を見つけてくれた。兄さんたちは相変わらず弟を馬鹿にして言った。「お前なんか蛙のところに行っちまいな」。

 今度は王さまはこう言った。
「一番きれいな娘を連れてきた者に城をやろう」

 兄さんたちは知り合いのお姫様たちのところへ行った。末息子は川のほとりへ行ってこう言った。
「名付け親に頼んで、前以上にきれいにしてもらえないかい」
 この王子は《金の髪》の美しさを一度も忘れたことはなかったのだ。そして蛙になってからも、彼女のことをほったらかしにはしていなかった。

 聖母さまはようやく名付け子を許してくれた。蛙はまた《金の髪》に戻っていた。そこへ恋人がやって来た。

「おいで《金の髪》よ! 兄さんたちも姫君を連れて城にやって来る。それがすごくみっともない姫君たちなんだ。絶対僕が城を手に入れるさ」

 王子は《金の髪》の手を取って小川を渡り、王の城へ行った。

 王さまは上の息子たちに言った。
「これで話は決まった。城は末の子にやろう。今度は前よりもはっきりしている」

 王子は《金の髪》と結婚し、父親の城を受け継いだ。


参考文献
フランス民話より ふしぎな愛の物語』 篠田知和基編著 ちくま文庫 1992.

※これは冥界から花嫁を連れ出す物語である。日本神話で、末弟であるオオクニヌシが根の国を訪ねてスセリ姫を連れ出そうとした時、琴が木に当たって鳴り響いてスセリ姫の父である冥王スサノオにそれを知らせた。イギリスの民話「ジャックと豆の木」では、太陽の国を訪ねたジャックが宝を盗み出そうとすると、琴が鳴り響き、金の卵を産む鶏が叫んで、それを主人たる太陽神(人食いの巨人)に知らせる。そしてこの物語では、オウムが知らせるのである。

 逃げ出した王子と「金の髪」は小川を渡らねばならない。だが、王子は渡れたのに「金の髪」は渡る前に聖母に捕まり、蛙に変えられる。そして小川にずっといることになる。小川は三途の川である。王子は現世に帰れたが、「金の髪」はそう出来ず、といって冥界に戻れもせず、中有に漂う頼りない魂となる。獣の姿をした神に。しかし、だからこそ、この世とあの世の橋渡し役――シャーマンにもなれたのである。蛙を通して王子は冥界の力を得、王となる。オオクニヌシがスセリ姫を連れ出して結婚したことで根の国の宝を得、地上の王として認められたように。物語の最後、蛙から人間になった――「死」から「生」に転じた「金の髪」は、王子に手を取られて小川を渡り、名付け親に祝福されつつ地上の王の城へと去る。

森の中の蛙」でも、蛙が変身するのは川を渡ろうとしたときだ。そして名付け親はその川岸の洗濯女として現れる。【桃太郎】の婆が川で洗濯していて桃を拾うように、あの世とこの世の境で物を浄める女はシャーマンであり、三途の川のほとりに座す奪衣婆のような、冥界の出入り口を見張る女神であろう。

 

 この話では「金の髪」がどんな生まれで、どうして聖母が名付け親なのかは語られていない。しかし恐らくは「白猫」で語られているような前日談があるはずだ。

 グリムの「ラプンツェル」が最も知られているが、妊娠中の母親が何故かどうしても神(聖母/妖精/魔女/人食いの怪物)の管理する作物を食べたくてたまらなくなり(食べなければ死ぬという状態になり)、それを食べることと引き換えに、生まれる子を渡す約束をしてしまう「魔女の菜園」のモチーフがある。恐らくは、ここで母親が食べたがる作物は「生命の果実」の変形であろう。生命の果実を食べて神の申し子を産む物語は、私たち日本人に【桃太郎】としておなじみであるように、世界中にある。「杜松の木」のように突然食べたくなって貪り食べて妊娠するものもある。つまり、妊娠中に食べたがるのではなく、食べたことで子を授かる、という形が本来のものだったはずである。

 ギリシアの「太陽の子」のように、一定期間が過ぎたら返すという約束で神に子を授かる話もあるが、生命の果実を食べて得た子供は神から授かった子であって、いずれ神に返さなければならない。神に愛された子は早死にするという思想があったのではないだろうか。(しかしこの思想は忘れられたようだ。単に「妖精に名付け親になってもらうこと」と引き換えに子供を取られたと語る類話もあり、「神」は子供を連れ去る悪者、魔物として認識されていったようである。)

 

 余談ながら、娘の名が「金の髪」だとわざわざ語られているのには意味があると思われる。類話では美しく長い見事な金髪を塔の下に垂らして、恋人を登らせているからである。この話者は娘が高い塔に閉じ込められていたことを語り損ねているようだ。

 

参考--> [ラプンツェル]「睡蓮」「マリアの子



森の花嫁  フィンランド

 ある百姓に三人の息子がありました。

「お前たちもそろそろ嫁をもらう時が来た。明日この家を出て、めいめい嫁探しに出かけるがいい」

「嫁探しと言ったって、一体どこへ行きゃいいんだい?」と、一番上の息子が訊きました。

「それは、ちゃんと考えてある。明日の朝、めいめい一本ずつ木を切り倒すのだ。そして、その木の倒れた方角に行くがいい。そうすれば、お前たちに似合いの娘が見つかるはずだ」

 次の朝、三人は木を切りました。一番上の息子の木は、北を指して倒れました。

「やった!」と、一番上の息子は言いました。というのは、北の方にある農場に、とても綺麗な娘がいることを知っていたかにらです。

 二番目の息子の木は、南を指しました。

「やった!」と、二番目の息子は言いました。というのは、南にある農場には、前によく一緒にダンスをした娘がいたからです。

 一番末の息子――名をベイッコと言いました――の木は、まっすぐ森を指して倒れました。ハハハと上の二人は笑いました。

「ベイッコ、お前は狼の娘か狐の娘に嫁になってもらうんだな」

 けれどもベイッコは自分が外れくじを引いたとは少しも思わず、喜んで森へ行って運試しをすると言いました。

 二人の兄たちは意気揚々と出かけていき、それぞれ自分の思っていた娘のところへ行って、結婚の申し込みをしました。ベイッコも元気に出かけましたが、森の中を進んでいくうちにだんだん心細くなってきました。

「人っ子ひとりいないこんな森の中で、一体どうやったら花嫁が見つかるというんだろう」

 そう言ってため息を落とした時、目の前に一軒の小屋が見えました。戸を押し開けて入ってみると、中には誰にもいません。いいえ、いるにはいたのです。小さなネズミが一匹、テーブルの上に。

「なんだ、誰もいないのか!」

「あらベイッコ、私がいるじゃありませんか!」

 そのネズミは上品な仕草で髭に櫛を入れていましたが、ベイッコの言葉を聞くと身づくろいの手を止めて、まっすぐ向き直って咎めるような口調で言いました。

「お前なんか数のうちに入らないよ。ただのネズミだからな」

「立派に入りますわ!」と、ネズミはきっぱり言いました。

「さあ、仰ってください。あなたは何を探していらっしゃいますの?」

「花嫁さ」

 ベイッコはネズミに問われるままに、木のことや兄たちのことなどをすっかり話しました。

「兄貴たちは、わけなく花嫁を見つけるだろう。だけど俺は、こんな森の中でどうすりゃいいんだ。一人だけ花嫁を連れずに家へ帰って、『行ってみたけど駄目でした』なんて、恥ずかしくて言えやしない」

 するとネズミが言いました。

「ねえベイッコ、こうしたら? 私を花嫁にするのよ」

 ベイッコは思わず吹き出していました。

「だって、お前はただのネズミじゃないか。ネズミを花嫁にした男なんて聞いたこともない!」

 けれども、ネズミは真剣な顔つきで首を振って言いました。

「ベイッコ、これは真面目な話よ。私の言うことを信じてください。世の中の色んな不幸に比べたら、ネズミを花嫁にすることぐらい何でもないわ。そりゃ、私はただのネズミかもしれないけれど、あなたの誠実ないい奥さんになれるわ」

 言い終わると、ネズミは小さな前足の上にあごを乗せ、目をキラキラ輝かせてベイッコをじっと見上げました。その様子はいかにも上品で愛らしく、見ているうちに、ベイッコはだんだんこのネズミが好きになってきました。

 ネズミは、ベイッコに綺麗な歌をうたってくれました。その歌を聴いていると、ベイッコの心は朗らかになって、人間の花嫁が見つからないとガッカリしていたことなど忘れてしまいました。そこでベイッコは、

「よし、きみを花嫁にすることに決めたよ、ちっちゃなネズミさん」と言いました。

 ネズミはこれを聞くと、嬉しそうな小さな叫び声をあげ、次にあなたがいらっしゃるのがどんなに先になっても、ずっとあなたを待っていますと言いました。

 

 さて、家に帰ってくると、二人の兄たちはそれぞれ自分の許婚いいなずけを自慢しました。

「彼女くらい、つやつやしたバラ色の頬をした娘は、どこにもいないさ」と、一番上の兄は言いました。

「彼女の、長くて黄色い髪の綺麗なことと言ったら!」と、二番目の兄も言いました。

 ベイッコは、何も言いませんでした。「どうした? ベイッコ」と、兄たちは笑いながら訊きました。

「お前の許婚はピンと突っ立った耳をして、尖った白い歯をしているのか、え?」

「笑わなくたっていいだろ。俺だってちゃんと花嫁を見つけたさ。上品で、優しい、小さな子で、ビロードのガウンを着てるんだ」

「ビロードのガウン?」「ハッ、まるで王女様だな!」

「そう、王女様みたいなんだ。あの子がきちんと座って歌をうたってくれると、俺は幸せでいっぱいになる」

「ふん!」と、二人の兄は面白くなさそうに鼻を鳴らしました。

 

 四、五日経つと、百姓は言いました。

「ところでだな。お前たちの許婚に、パンを一個ずつ焼かせて持っておいで。台所の仕事が立派にやれるか見たいからな」

「俺の彼女は、パンが焼けるさ」と、一番上の兄は自慢げに言いました。「俺の彼女だってさ!」と二番目の兄も調子を合わせました。ベイッコが黙っていると、兄たちは笑いました。

「お前の王女様はどうなんだ。パンは焼けるのか?」

「分からない。訊いてみなければ」

 ベイッコには、あの小さなネズミがパンを焼くことが出来るとは、とうてい思えませんでした。なので、森の中の小屋に着く頃には心は悲しく沈んでいました。

 ベイッコが戸を開けると、ネズミは前と同じようにテーブルの上に座って髭に櫛を入れていました。そしてベイッコを見ると、喜んでその場でくるくるとダンスしました。

「ああ、嬉しい! きっと来てくださると思っていましたわ」

 ネズミはそう叫びましたが、やがてベイッコが黙り込んでいるのに気がついて、どうしたのかと訊ねました。ベイッコは言いました。

「父さんが、許婚にパンを焼かせて持って来いと言うんだ。手ぶらで帰ったら、兄貴たちがさぞ笑うだろう」

「誰が手ぶらで帰れって言ったの? 私にだってパンは焼けますわ」と、ネズミは言いました。

 ベイッコはこれを聞いてびっくりしました。

「ネズミがパンを焼くだなんて、聞いたこともない!」

「と・こ・ろ・が。私は焼くのよ」と、小さなネズミはきっぱり言って、小さな銀の鈴をリン、リン、リンと鳴らしました。たちまち、あちこちからかさかさこそこそと小さな足音をたてて、何百匹というネズミが小屋の中へ飛び込んできました。

 ネズミの王女は背筋をしゃんと伸ばして座り、威厳ある態度で命じました。

「お前たち、とびきり上等の小麦を一粒ずつ、私のところへ持ってきておくれ」

 ネズミたちはすぐ出て行き、間もなく、めいめいとびきり上等の小麦を一粒ずつ持って帰ってきました。すると、ネズミの王女は難なく仕事を片付けて、見事な小麦のパンを一個、焼きあげました。

 

 次の日、三人の兄弟は、それぞれ自分の許婚の焼いたパンを父親に差し出しました。一番上の兄のものは、ライ麦のパン(黒パン)でした。

「なかなかよろしい。わしらみたいに力仕事をする者には、ライ麦パンはいいものだ」と、百姓は言いました。

 二番目の兄のものは、大麦のパンでした。

「大麦のパンもいい」と、百姓は言いました。

 けれども、ベイッコが見事な小麦のパン(白パン)を差し出すと、父親は大声で叫びました。

「これはまた、小麦のパンだと! ああ、ベイッコ。お前の許婚は金持ちに違いないな」

「そりゃ金持ちに決まってるさ。なにしろ王女様なんだからな」と、上の二人は嘲るように言いました。「ところでベイッコ、王女様ってのは、上等の小麦が欲しいとき、どうやって手に入れるんだい?」

「小さな銀の鈴を鳴らすのさ。そして、召使いたちがやってきたら、とびきり上等の小麦を持ってくるように言いつけるんだよ」と、ベイッコは答えました。

 これを聞くと、二人の兄たちは体が裂けそうなほど悔しがりました。父親は二人を宥めて「まあ、まあ。運がいい者に文句をつけることはなかろう」と言いました。

「どの娘も自分に合ったやり方でパンを焼いたのだ。多分、それぞれによい嫁になるだろう。しかし、家に連れて来る前に、もう一度試しておきたい。めいめい、お前たちの許婚の織った布の見本を、わしに見せるように」

 兄たちはこれを聞いて大喜びしました。二人とも、自分の許婚が機織り上手だということを知っていたからです。

「さて、お前の姫様は、今度はどんなお手並みを見せてくれるのかな?」と、二人は言いました。二人とも内心、ベイッコの花嫁が自分たちの花嫁を負かすことはあるまいと思っていたのです。

 ベイッコも、あの小さなネズミに機織りが出来ようとは思えませんでした。「ネズミが機を織るなんて、聞いたことがない!」と呟きながら、森の小屋の戸を押し開けました。

「ああ、やっと来てくださった!」

 ネズミは、小さな前足をベイッコの方に差し出しながら嬉しそうに叫びました。そして、そのままテーブルの上を踊り回りました。

「俺に会えて、そんなに嬉しいのかい?」

「そりゃ……ずっとずっと待っていたんですもの。だって、私はあなたの許婚じゃなくて?」と、ネズミは言いました。「ねえベイッコ、お父様が、また何か持って来いと仰ったの?」

「そうだ。しかも、多分きみには出来ないものなんだ」

「出来るかもしれないわ。何かしら?」

「きみが織った布の見本さ」

「チッチッ!」と、小さなネズミは舌を鳴らしました。「ベイッコの花嫁になる者が、機織りも出来ないなんて、そんなことがあるものですか!」

 ネズミの王女は小さな銀の鈴を取り上げて、リン、リン、リンと鳴らしました。と、たちまち微かな足音がして、何百匹というネズミが四方八方からやって来て、後足で立って、王女様の命令を待ちました。

「お前たち、とびきり上等の麻糸を一本ずつ持ってきておくれ」

 ネズミたちは足早に立ち去りました。そして間もなく、一匹ずつ糸を持って帰ってきました。ネズミたちがその糸を梳いて紡ぐと、小さなネズミの王女は、それで見事なリネンを織りました。その布は透きとおるくらい薄かったので、王女がそれをたたむと、胡桃の殻の中にすっぽり入ってしまいました。

「さあ、ベイッコ。この胡桃の中に私の織った布の見本が入っていますわ。お父様のお気に召すとよろしいけど」

 

 家に着いたとき、ベイッコはあの胡桃の殻をポケットに隠しておきました。

 一番上の兄の許婚が見本に届けたのは、目の粗い木綿の布でした。

「あまり美しいとは言えんが、しかし、丈夫に出来ている」と、百姓は言いました。

 二番目の兄のものは、木綿と麻を織り交ぜて織ったものでした。

「さっきのよりは上等だな」と、百姓は頷きながら言いました。

 それから、百姓はベイッコの方へ向き直って言いました。

「で、お前はどうした。お前の許婚は、見本をよこさなかったのか?」

 ベイッコは胡桃の殻を差し出しました。それを見ると、二人の兄は「ハハハ。ベイッコの許婚は、織物の見本に木の実をよこした」と言って笑い転げました。しかし、百姓が胡桃の殻を開けて、中から透きとおるように美しい布を引き出したのを見ると、ぴたっと笑うのをやめました。

「これはなんと! ベイッコや、お前の許婚は、こんなに細くて美しい布を、一体どうやって手に入れたのだ?」と、百姓は訊きました。

「銀の鈴を鳴らして、召使いたちに、とびきり上等の糸を持ってくるように言いつけたのです」

「すばらしい!」お百姓は息を呑みました。「こんな布を織る者があろうとは。他の娘たちは、百姓の妻としては不足はなかろう。しかしベイッコの許婚は王女かもしれぬ。

 さて、今度はわしがこの目で花嫁を見たい。どうじゃ、明日、娘たちをここへ連れてきては?」

 

「そりゃ、あれは可愛い、いいネズミで、俺もあいつが気に入っている」と、ベイッコは森へ向かって歩きながら考えました。「しかしあれがただのネズミだと分かったら、兄貴たちはどんなに笑うだろう。いいさ、笑われたって。あいつは、今まで立派に俺の許婚の役を果たしてくれたんだ。俺だって、あいつのことを恥ずかしいなんて思うまい」

 小屋に着くと、ベイッコはすぐに、父さんがきみに会いたがっていると話しました。

 小さなネズミはたいそう喜びました。

「きちんとして出かけなくっちゃ」

 ネズミは小さな銀の鈴を鳴らし、五頭立ての馬車を用意するよう言いつけました。用意が出来たところを見ると、馬車は胡桃の殻で、馬は五匹の元気よい黒ネズミでした。ネズミの王女は馬車の真ん中に座り、御者ネズミが前に、お付きのネズミが後ろに座りました。

(ああ、兄貴たちがこれを見たら、どんなに笑うだろう!)と、ベイッコは思いました。

 ベイッコは馬車に付き添って歩き、みちみち小さなネズミに、何も心配しないように、自分はよくきみの面倒をみるし、父さんは優しい人だから、きっときみに親切にしてくれるよと言いました。

 森を抜けると、そこには川があって、細い木の橋が架かっていました。一行が、ちょうど橋の中程まで来たとき、反対側から、一人の男がやって来ました。

「こりゃ、また!」男は、不思議な馬車がコトコト進んでくるのを見て叫びました。

「こりゃ一体、何だ?」

 男は身をかがめて、じっと馬車を見ました。そしてブハッと笑い出したかと思うと、足を伸ばして、馬車も、王女も、御者もお付きの者も、それから五匹の元気よい黒ネズミも全部、下の川へ蹴り落としてしまいました。

「なんてことを、なんてことをしてくれたんだ!」と、ベイッコは叫びました。「俺の可愛い花嫁を川へ投げ込むなんて!」

 男はベイッコをおかしな奴だと思ったらしく、さっさと行ってしまいました。

「ああ、可哀想に! 溺れてしまって……。お前は、ほんとに優しくて、忠実な許婚だった。お前がいなくなってしまってよく分かった。俺はほんとにお前が好きだった……。お前のほか、一体誰を花嫁にすればいいんだ……」

 ベイッコがそう言った途端、五頭の立派な馬に引かれた美しい馬車が、川の向こう岸に現れました。近づいてみると、馬車の中には、世にも美しい王女様が座っていました。肌は雪のように白く、頬はイチゴのように赤く、長く垂れた金色の髪には、キラキラ光る宝石が編み込まれていました。そして、真珠色に輝くビロードのドレスを着ていました。

 王女様はベイッコに手招きして、「私の横に、お掛けになりません?」と言いました。

「えっ、お、俺が」と、ベイッコはどもりながら言いました。王女様はにっこりしました。

「あなたは、ネズミだった時に私を許婚にしてくださったではありませんか? 今になって私を捨てるなんてことはなさらないでしょう?」

「ネズミ?」ベイッコは息を呑みました。「あなたが、あの小さなネズミだったって?」

 王女様は、こっくり頷きました。

「そうです。私は、悪い魔法にかかって、ネズミにされていたのです。その魔法は、誰かが私を許婚にし、他の誰かが私を溺れさせるまで、決して解けないことになっていました。でも、もう魔法は永久に解けました。さあ、一緒に、あなたのお父様のところへ参りましょう。そして、お父様の祝福をいただいたら、結婚して、一緒に私の王国へ帰りましょう」

 二人は、馬車でまっすぐベイッコの父親の家に向かいました。父親や、二人の兄や許婚たちは、馬車が門の前に止まったのを見ると、こんな立派な方が自分たちに何の用があるのだろうと飛び出してきました。

「父さん、俺だよ!」と、ベイッコは叫びました。百姓は驚いて

「なんとなんと! こりゃ、せがれのベイッコじゃないか!」と言いました。

「そうだよ、俺だよ。それから、こっちにいるのが俺の許婚の王女様だ」

「王女様? こりゃ驚いた。一体全体、どこで王女様なんかと知り合った?」

「俺の木が倒れて指した森の中でさ」

「そうかそうか。わしはずっと昔から、それが花嫁を探す一番いいやり方だと聞いていたんじゃ」

 さて、二人は百姓の祝福を受けたあと、馬車で王女様の国に帰って結婚しました。そして、いつまでも仲良く、幸せに暮らしました。



参考文献
『エパミナンダス 愛蔵版おはなしのろうそく1』 東京子ども図書館編 東京子ども図書館 1997.

※同じ物語であっても、脚色とキャラクター付けによって印象は全く異なったものになるという好例である。個人的に、【蛙の王女】に集めた例話の中では一番好きかもしれない。

 ネズミの王女はお喋りで誇り高いが、小指の童女ほどうるさく喋らないし、隅の母さんの娘ほど思い込みが激しくもない。歌声も素晴らしいが、その仕草がとても愛らしい。白猫の王女に近い、でももっと愛らしい描き方だ。ベイッコの方も、異形の王女を利用しようとなんてしていない。最初は「ネズミを妻になんて出来ない」とはっきり断るが、彼女の歌や話し方や仕草を見るうちに気に入って婚約する。それでも婚約者が異形であることを恥ずかしく思ったり、そんな自分を逆に恥じたりと、人間らしい、けれど誠実な人柄がはっきり描写されていて好感が持てる。

 なお、この話では異形の王女の出自については何も語られていないが、以下の類話では語られている。

 

二十日鼠になった王女  フランス

 さあみなさん、聞きたければ聞きなさい。
 素敵な話が聞けることうけあい。
 この話は嘘偽りない本当の話。
 いや、ひょっとすれば一つか二つは嘘もあるかもしれませんが。

 昔、年老いたフランス王がいたが、子供がなかったので悲しんでいた。諦めかけていた頃に王妃が娘を産み、華やかな祝宴が開かれた。ところが、近くの森に住む年老いた魔女は招待されなかったのだ。怨んだ魔女は王女を二十日鼠に変え、一度も笑ったことのない魔女の妹が笑うときまで、その呪いは解かぬと誓いを立てた。

 

 それから何年も過ぎた頃、フランス王とスペイン王の間に戦争が起こった。フランス王が宮殿の中庭で馬にまたがり、いよいよ出陣しようとしたとき、二十日鼠になった王女が駆けて来るのが見えた。

「お父様、私を一緒に戦場へ連れて行ってください」
「その姿で、戦場で何をしようというのだ」
「心配はご無用です。私をお父様の馬の耳に入れてくださればよいのです。それから出かけましょう」

 戦場で戦いが始まろうとすると、素晴らしい歌声が響き渡って、両軍とも身じろぎもせずに聞き入った。

「ああ、見事な歌声だ!」と、スペイン王の息子が叫んだ。「それにしてもどこから聞こえてくるのだろう」

 両軍の兵士たちはこの心地よい歌声を聞くうちに戦意を失い、互いに肩を抱き合いたい気分になっていた。スペイン王の息子はフランス王を訪ねて訊いた。

「あの歌声は何ですか。どこから聞こえるのでしょう」
「私の娘が歌っているのだ」
「あなたの娘ですって! ……でも、一体どちらに」
「ここにいる。私の馬の左耳の中に」
「私をからかわれるのですか」
「とんでもない。事実を言っているのだ」
「では、その王女を私の妻にしてください。そうすれば双方が争わずに済むではありませんか」
「えっ、なんだと。二十日鼠を嫁にもらってくれるというのか」
「二十日鼠? ……いいですとも。もし王女が私を受け入れてくださるのなら」

「私は大賛成ですわ、お父様」と、二十日鼠は急いで答えた。それで戦争は終わり、代わりに婚礼の祝いが一週間続いた。

 

 さて、スペイン王には他に二人の息子がいて、一人はポルトガル王の娘と、もう一人はトルコ皇帝の娘と結婚していた。ある日、父王は三人の息子を呼び寄せ、王冠を長男に譲って隠居するつもりだと告げた。しかし次男が言った。

「父上、私が思いますに、王冠は私たちのうちで最も華々しい手柄を立てた者にこそ譲るのが公正でしょう。私たちは三人とも同等の権利がある、父上の子なのですから」
「よろしい。ではお前たちを試してみることにしよう。この王冠は、最も素晴らしい織物を私のもとに持ってきた者に与える」

 老王はそう言い、三人兄弟は承知して退出した。

 二十日鼠の夫である末の王子が館に戻ると、彼の妻は窓の辺りで日向ぼっこをしながら夫を待っていて、惚れ惚れするような声で歌っていた。

「そんな歌などもう沢山だ! それよりも糸紡ぎの名手になってもらいたいところなのに」
「何故ですの。何か変わったことでもありましたか」
「では教えよう。耳寄りな話だ。父は、三人の息子のうち最も素晴らしい織物を持ってきた者に王冠をお譲りになると約束された」
「そんなことはどうでもよいではありませんか。私の父の王冠の方が、あなたのお父上の王冠よりも百倍も値打ちがありますわ。そんなことでお心を煩わすのはおよしになって、スペインの王冠は二人のお兄様に勝手に争っていただきましょうよ」
「お前のお父上の王冠がどんなに立派なものであっても、父の王冠を諦めたくはないのだ」

 やがて父王に織物を差し出す日が明日に迫ったが、末の王子には差し出せるものが何もなかった。

「ご安心なさい。それしきのことで心配なさることはありませんわ。この箱をお受け取りになって」

 嘆く王子に、二十日鼠は固く蓋を閉じた綺麗な小箱を渡した。

「兄上たちがそれぞれの織物を広げてお見せになったら、その小箱を開くのです。そうすれば、兄上たちを恥じ入らせるに足るものがこの中にあるでしょう」

 王子は半信半疑ながら小箱を抱えて出かけて行った。宮殿の中庭には兄たちが遠方の様々な国から集めた織物の入った荷物が数頭の騾馬ラバによって運び込まれ、うずたかく積まれていた。それらが披露され吟味されたあと、「末の息子よ、お前は何を持ってきてくれたのかな」と父王に問われて、王子は小箱を差し出した。二人の兄たちは腹を抱えて笑ったが、王が開けた箱の中から絹のように繊細で光沢のある織物が現れると笑いを止めた。これと比べると、兄たちの織物は目の粗い麻布のようだった。しかも、それは小箱の中から際限ないと思えるほどに出続けたのだった。

「私の王冠は末の息子に継がせることにしよう」と父王が言うと、二人の兄たちは口々に異を唱えた。

「お待ちください! 最初の試験だけで即断なさるべきではありません。父上、どうか二度目の試練を課してください。そのあとで考えようではありませんか」
「では、そうしよう。しかし、二度目の試練に何を求めたものか」

 すると、「父上のもとに最も美しい妻を連れて来た者に王冠を約束してください」と一番上の息子が言った。彼の妻であるトルコ皇帝の娘は、美貌の王女として評判が高かったのだ。老王は承知し、三兄弟は退出した。

 末の王子はすっかり消沈して館に帰った。彼の妻は二十日鼠だったから、今度ばかりは王冠を競うことも出来ないと思っていたからだ。

「どうしてそのように塞ぎ込んでいらっしゃるのです」と、二十日鼠は夫の情けない顔を見て尋ねた。

「あの小箱がお役に立たなかったのでしょうか」
「小箱は素晴らしい効き目があった」
「では、スペイン王の王冠はあなたのものなのですね」
「スペイン王の王冠だと! ……ああ、私はそれを手に入れられる立場にない」
「それはまた、どうしてですの」
「父が二度目の試練をお求めになったからだ」
「どんな試練ですか。どうか私に教えてください」
「教えたところで、どうなるものでもない」
「でも、試しに仰ってくださいまし」
「では言おう。トルコ皇帝の娘を妻に持つ長兄の求めに応じて、父は、私たち三人兄弟のうちで最も美しい妻を連れてきた者に王冠を授けると言われたのだ。どうだ、分かったかね……」

 ところが二十日鼠は言ったのだ。「それしきのことなら、私にお任せください」と。

 

 妻を王に紹介しなければならない日がやって来ると、二十日鼠は夫の王子に「ご一緒にあなたのお父上の宮殿へ参りましょう」と言った。しかし王子は表情を曇らせた。

「今日、父の前に伺候するのに必要なのは二十日鼠ではない。人間の女、それも美しい妻なのだ」
「何もご心配なさることはありませんわ。ご一緒に私を連れて行ってください」
「私に恥をかかせるためにか」

 そう言い捨てて、王子は一人で四輪馬車に乗ると出発してしまった。しかし二十日鼠は屋敷の奥へは引き返さず、羊の群れを連れて出かけようとしていた若い羊飼いに命じた。

「羊飼い。あそこに見える、メンドリたちに囲まれている赤い大きなオンドリを捕まえておくれ。そうして、私がオンドリの背に乗って夫に追いつけるように、柳の皮の手綱をオンドリの口に着けるがいい」

 羊飼いが命じられたとおりにすると、二十日鼠はオンドリの背に乗り、柳の皮で作った手綱を小さな前足で握って、スペインの宮殿へ向かって出発した。

 オンドリに乗った二十日鼠は、途中で大きな城の側を通り抜けねばならなかった。その城の前には泥沼があったので、オンドリはどうしても城の中へ入ろうとはしない。「それ! それ! ……進め!」と二十日鼠が命じても、一歩進んでは二歩後退するという有様だ。

 実は、ここはかつて二十日鼠の王女に呪いをかけた魔女の城だったのだ。魔女の妹は窓際からこの様子を見ていたが、思わず大声で笑い出し、その声が城中に響き渡った。魔女は駆けつけて、妹を笑わせた原因を知ると二十日鼠に言った。

「魔法は解かれた! 私は妹の笑い声を聞くときまで、お前を二十日鼠の姿に変えておいた。今こそお前は解放された。ただ今より、お前はこの太陽の下で最も美しい王女となり、その手綱は金箔を貼った見事な四輪馬車に変わり、オンドリは名馬になるだろう」

 たちまち、全てがそのとおりになった。

「さあ、行くがいい。夫の父王の宮廷へ行くのだ。お前より美しい女が来るかも知れぬなどという心配は、最早するには及ばない!」

 王女は黄金の馬車に乗って道を続け、やがて夫に追いついた。彼はノロノロと馬車を進めていたので。

「まあ、まだこんなところにいらっしゃったのですか。さあ、こちらの四輪馬車に移って、私の横に並んでお掛けなさいな。そうして、その薄汚れた馬車と駄馬はお棄てになってください」

 見知らぬ女のぶしつけな物言いに王子は驚いたが、こんなにも美しい王女が自分の妻だとは分からなかったので、ムッとして言い返した。

「いくらあなたの馬車の方が美しく、あなたの馬の方が見事だからと言って、からかうのはよしてください」
「まあ。では私をよくご覧になって。ご自分の妻だとお分かりになっていただきたいものですわ」
「いや、残念ながら、あなたは私の妻ではありません。私の妻はフランス王の娘ですが、意地の悪い魔女の手で二十日鼠の姿に変えられてしまったのです。……ともあれ、私は今の彼女を愛しています」

 そこで王女は一部始終を物語り、さんざん骨を折ったものの、自分がフランス王の娘で王子の妻であることを、ようやく夫に信じさせた。それから二人は黄金の馬車に乗ってまっすぐ道を進み、光り輝かん様子でスペイン王の宮殿の中庭に着いた。二人の到着は人々を湧き立たせた。誰もが王女と馬車と馬に見とれ、その美しさで辺りは明るくなった。

 非の打ち所のない美しさの王女を見て、二人の兄は狼狽し、老王は喜んで、わざわざ王女が馬車から降りる手助けをしたほどだった。王は言った。

「あなたは私がこれまで見た誰よりも美しく、私の末の息子と並んでスペイン王の玉座に座るに最も相応しい」

 夜には盛大な祝宴が催されたが、老父は美しい嫁を自分の隣に座らせたがった。王女は料理や飲み物を供されるたびに、ドレスのひだにそのひとかけらや一滴を落とした。これを見て人々は驚いた。

 食事が済んでダンスが始まったが、王女が踊ると、その後に真珠と花が撒き散らされた。それは彼女のドレスのひだから際限なく零れ落ちてくるのだった。これを見て二人の兄の妻たちは口惜しさのあまり青ざめていた。

 翌日も祝宴は続いたが、二人の兄の妻たちは自分たちも同じように出来るのではないかと期待して、食事の時に料理の一切れと飲み物の一滴をドレスのひだに入れておいた。しかし、ダンスの時間になって彼女たちが踊ると、ドレスのひだからは残飯とソースが撒き散らされた。しみだらけのドレスを着た彼女たちを誰もダンスに誘おうとはせず、代わりに残飯のにおいをかぎつけた犬や猫が集まってきて、舞踏会はめちゃくちゃになった。

 この有様を見て老王はひどく腹を立て、上の二人の息子夫婦を宮殿から追い出した。その後、王は末の息子のために王位を退いたのだった。


参考文献
『フランス妖精民話集』 植田祐次編訳 教養文庫 1981.

※上の兄たちの奥さんがかわいそう…。というか、禍根が残りそうな結末である。そして一回歌って戦争を止めてしまった二十日鼠の王女。某歌姫以上である。すげぇ。そして「フランス王の王冠はスペイン王の王冠の百倍の価値がある」と断言してはばからないフランス民話。すごい。

 

 異形の王女がオンドリに乗って城へ向かい、道中で「境界を越える」と美しい娘に転生するくだりは「蛙娘」と同じである。朝を告げるニワトリは「光、太陽神」や「冥界から現界へ導く者」の象徴とされるものだが、それと無関係ではないのだろう。

 蛙娘は城へ行く前に太陽のところへ行ってドレスをもらってきたと語られるが、それがどんな道中だったかは説明されない。しかし、二十日鼠の道中がどんなものであったかは簡素ではあるが説明されている。「旅の途中で城の側を通らなければならなくなる」というモチーフは「白猫」にも現れているが、この城は「冥界」を暗示している。冥界の女王の城である。城の前にある泥沼も「冥界」の表象だ。死の世界を潜り抜けなければ…一度死ななければ、転生は出来ないものだから、異形の王女は真の人間になるためにここを通らなければならなかったのだ。

 伝承の世界には、堅く閉ざされた岩門(手を挟む石像の口)を笑わせることで開く、というモチーフがある。あるいは、「鬼の子小綱」や「鬼が笑う」のように、追ってくる人食い鬼を笑わせることで逃れることもある。ギリシア神話の地母神デメテルは娘を失って固く心を閉ざし、何も食べなくなった。つまり、大地は不毛になった。しかしバウボという女が自分の女性器を露出しておどけてみせると、デメテルは笑い、心を開いて食物を口にしたという。日本神話でも、岩戸の中にこもったアマテラスを外に出したのは、半裸で踊ったアマノウズメのもたらした「笑い」であった。--> 参考<童子と人食い鬼のあれこれ〜笑う鬼

 笑わない魔女の妹は開かない冥界の門であり、厳格な「死」そのものとみなすことも出来る。しかしそれが笑った…門が開き、冥界の母が慈悲の心を示した時、中有を彷徨う魂であった異形の王女は、新たな命として生まれ変わり、黄泉帰ることを許される。冥府の城に響き渡った魔女の妹の笑い声は、伝承の中で主人公が冥界から逃げ出す時に大地や木や琴や門が鳴動して響かせる音と、同じものであるに違いない。



参考--> 「隅の母さんの娘に結婚を申し込みたかった若者」「草むらのお人形」「たにし息子」「アチャ王とねずみの女王




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